「プルトニウム」の版間の差分

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プルトニウムの臨界量はウラン235の3分の1しかないので、臨界量に近い量のプルトニウムが蓄積しないように注意しなければならない。<!--どのような環境に閉じ込められていようとも、核兵器で必要とされるような外部圧力によって閉じ込められていないにもかかわらず、それは自ら熱を出してそれ自体を破損するだろう。-->すなわち形状が重要で、球体のようなコンパクトな形にしてはならないのである。溶液状のプルトニウムは固体より少ない量で臨界量に達する。それが単に溶けるか破片になるのではなく爆発するためには超臨界を大きく越える量を必要とするので、兵器級の核爆発は偶然に生じることはありえない。しかし、ひとたび臨界量に達すれば致死量の放射線が発生する。
 
臨界事故は過去に何度か起きており、それらのうちのいくつかで死者を出している。核開発の草創期の事故として著名なのが、いわゆる「[[デーモン・コア]]」の事例である。1945年8月21日、[[ロスアラモス国立研究所]]で致死量の放射線を発生させた事故は、6.2 kgの球状プルトニウムを囲んだ[[炭化タングステン]]レンガブロックの不注意な取り扱いに起因していた。このとき科学者ハリー・ダリアンは推定510 rem (5.1 Sv) の被曝をし4週間後に死亡した。その9か月後に、別のロスアラモスの科学者[[ルイス・スローティン]]は、ベリリウムの反射材、および以前にダリアンの生命を奪ったのとまさに同じプルトニウムコアによる同様の事故で死亡した。2人の科学者の命を奪ったプルトニウムコアは「デーモン・コア」と名づけられた。これらの出来事は、1989年の映画「{{仮リンク|シャドー・メーカーズ|en|Fat Man and Little Boy}}」でかなり正確に描写された。1958年には、ロスアラモスのプルトニウム精製工程で、混合容器の中で臨界量が形成され、クレーン操作員が死亡した。この種の事故が、ソ連等の国で起こった(詳しくは[[原子力事故]]を参照)。1986年のチェルノブイリの事故は、大量のプルトニウムの放出を引き起こした。
 
さらには、金属プルトニウムには発火の危険がある。特に素材が微粒子に分割されている場合が危険である。金属プルトニウムは酸素および水と反応し、[[自然発火性物質]]である[[水素化プルトニウム]]が蓄積する可能性があり、室温の空気中で発火しうる。プルトニウムが酸化してその容器を壊すとともに、プルトニウムが相当に拡散する。燃えている物質の放射能は危険性が増す。[[酸化マグネシウム]]の砂は、プルトニウム火災を消火するための最も有効な素材である。それはヒートシンクとして働き燃えている物質を冷やし、同時に酸素を遮断する。<!--水も有効である。-->