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[[山口県]][[宇部市]][[中央町 (宇部市)|中央町]]生まれ。戦後復員した父・[[柳井等]]は、正が生まれた1949年に兄・柳井政雄が代表を務める小郡商事から繊維・洋服部門を任され、紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げ、1963年にファーストリテイリングの前身となる[[柳井等#小郡商事|小郡商事株式会社]]を設立した人物<ref name = "yokota2013">『ユニクロ帝国の光と影』139-168、279-304頁。</ref>。正が中学生になるころ、父・等は地元のヤクザと組んで土建屋の経営にも手を広げ、次第に街の顔役として幅を利かせるようになった<ref name="yokota2013"/>。
 
[[山口県立宇部高等学校]]を経て[[早稲田大学政治経済学部]]に進んだ<ref name="yokota2013"/>。大学時代は、映画やパチンコ、[[麻雀]]でぶらぶらしていた4年間だった<ref name="yokota2013"/>。就職先として大手商社を受けたが、ことごとく落ちた<ref name="yokota2013"/>。大学を卒業後ぶらぶらして過ごしていたが、父親の勧めで[[ジャスコ]](現在の[[イオンリテール]])に入社<ref name="yokota2013"/>。
 
[[ジャスコ四日市店]]で家庭雑貨売場を担当したが、働くのが嫌になり9ヶ月で退職、半年程友人の家に居候した後、帰省して実家の小郡商事に入社。当時小郡商事が展開していた店舗「メンズショップOS」で取り扱っていたのは[[紳士服]]などの男性向け衣料が中心であったが、12年経営に携わる間、[[青山商事|洋服の青山]]や[[AOKIホールディングス|アオキ]]などの郊外型紳士服店が業績を拡大したため、後発を避け安価で、日常的なカジュアル衣料の販売店を着想し全国展開を目指した。カジュアルに拘った理由は紳士服([[背広|スーツ]])のように接客を必要としない、物が良ければ売れるという点が自身の性に合ったためという<ref>[[Gainer]] [[光文社]] 2009年5月号 147頁</ref>。