「飯田市立図書館」の版間の差分

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中央図書館を中心に加筆。
→‎千代分館: 新設。
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| 経度度 = 137 |経度分 = 49 | 経度秒 = 46.6
|座標右上表示 =
|ISIL = JP-1001654<ref name="isil">{{cite web|url=https://www.ndl.go.jp/jp/library/isil/__icsFiles/afieldfile/2019/02/27/isil_public_20190227(J).xlsx|title=ISIL管理台帳ファイル|publisher=[[国立国会図書館関西館]]図書館協力課|date=2019-02-27|accessdate=2019-0506-0807}}</ref>
|蔵書数 = 374,566冊 |蔵書数年 = 2018年3月31日<ref name="tg"/>
|貸出数 = 361,222冊 |貸出数年 = 2017年度<ref name="tg"/>
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|上久堅分館||上久堅3770番地1||上久堅公民館||1950||1964||42.80||9,683
|-
|[[#千代分館|千代分館]]||千代932番地5||千代公民館||1894||1964||66.24||14,087||千栄分室あり
|-
|龍江分館||龍江4517番地||龍江公民館||1948||1964||77.49||10,792
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|南信濃分館||南信濃和田1099番地2||南信濃学習交流センター||colspan="2" style="text-align:center"|2005||40.00||8,749
|}
 
=== 千代分館 ===
千代分館は、飯田市千代932番地5の千代公民館1階にある<ref name="cybk">{{cite web|url=https://www.city.iida.lg.jp/soshiki/42/lib-tiyo.html|title=中央図書館 千代分館のご案内|publisher=飯田市立中央図書館|accessdate=2019-06-07}}</ref>。その起源は[[1894年]](明治27年)創立の千代文庫であり、中央図書館よりも歴史がある<ref name="tg"/>。開館日時は、水曜日の15時から17時まで(第1・3水曜日は10時30分から正午までも開館)、土曜日の10時から17時までである<ref name="cybk"/>。2017年(平成29年)度の利用登録者数は174人、貸出冊数は6,469冊である(千栄分室含む)<ref name="tg"/>。ISILはJP-1001664<ref name="isil"/>。
 
千代文庫は1894年(明治27年)に{{#tag:ref|『図書館概要』による記述<ref name="tg"/>。『長野県教育史』では1893年(明治26年)2月となっている{{sfn|長野県教育史刊行会 編|1981|p=784}}。|group="注"}}千代小学校職員と青年会有志が協力して千代小学校内に設立した<ref name="tg"/>。1907年(明治40年)時点で1,214冊を所蔵する、下伊那郡では飯田文庫と並ぶ大きな図書館であった{{sfn|長野県教育史刊行会 編|1981|p=784}}。しかし当時の文庫は村民の間で不人気な「お荷物施設」と見なされていた{{sfn|是枝|1983|p=63}}。その後、[[1913年]](大正2年)[[1月30日]]に文庫の管理運営が千代青年会に委託された<ref name="tg"/>。千代青年会は官製団体から1919年(大正8年)に自主化を果たし、図書購入予算を従来の10倍となる126円に増やして、役員が飯田町に出かけて図書を買いに行くようになった{{sfn|是枝|1983|p=63, 115}}。更に月1回読書会を開催して社会問題の学習に乗り出し、[[千代村]]は後に下伊那郡の青年運動の中心的な村となる{{sfn|是枝|1983|p=63, 115}}。この頃の千代文庫は青年会員のみ利用できたが、1923年(大正12年)には処女会員も利用できるようにした{{sfn|是枝|1983|p=63, 115}}。そして翌1924年(大正13年){{#tag:ref|是枝英子『知恵の樹を育てる』による記述{{sfn|是枝|1983|p=63, 115}}。『図書館概要』では1923年(大正12年)4月1日に村立図書館となっている<ref name="tg"/>。|group="注"}}、青年会の運動が実を結んで村立図書館に移行、公費で運営されることになり、村民全体に開放された{{sfn|是枝|1983|p=63, 115}}。
 
村立移管当初、図書館管理委員は15人おり、うち5人が青年会員、4人が処女会員と青年層が多数派を形成していた。しかし千代村当局は1926年(大正15年/昭和元年)に突如図書館細則を変更して管理委員から青年会員を減らし、青年の購入図書選択権を奪った{{sfn|是枝|1983|pp=115-116}}。飯田図書館でも同じく青年が購入図書を自由に選べなくなっており、下伊那郡の各町村の青年会では、千代・飯田を反面教師として購入図書選択権の維持を図ろうとした{{sfn|是枝|1983|pp=116-117}}。[[1937年]](昭和12年)[[7月9日]]<ref name="tg"/>、千代村出身で[[大倉工業]]の重役を務めていた島岡亮太郎の全額寄付(建築費は4,590円)により{{sfn|是枝|1983|p=142}}、独立した図書館を得て「村立千代図書館」が開館した<ref name="tg"/>。島岡は図書の寄贈も行い、島岡の寄贈書だけで優に図書館1館分に相当したという{{sfn|是枝|1983|p=142}}。この頃の館長は村長が兼任し、司書は小学校職員が務めた{{sfn|是枝|1983|pp=142-143}}。
 
独立館を得た後、二宮報徳文庫・児童文庫・忠勇文庫を特設し、1939年(昭和14年)[[2月11日]]には優良図書館として長野県知事から表彰を受けた<ref name="tg"/>。1948年(昭和23年)4月1日より千代図書館は公民館の傘下に置かれ、1964年(昭和39年)3月30日に千代村が飯田市と合併したことにより、市立飯田図書館千代分館となる<ref name="tg"/>。1977年(昭和52年)[[6月19日]]、千代小学校体育館を建設するために図書館は取り壊され、同校の一角を仮館として移転した<ref name="tg"/>。1980年(昭和55年)4月には基幹集落センターに移転し、2014年(平成26年)[[7月20日]]に千代公民館が新築移転したことに伴い、同館内へ移転した<ref name="tg"/>。千代公民館には、千代図書館の建設費を負担し、多くの寄贈を行った島岡亮太郎の胸像が建立されている<ref>{{cite web|url=http://chiyosc.ed.iidanet.jp/wp-content/uploads/2012/07/f8994c4022c0b9b3b49cf4ade45e0207.pdf|title=平成24年度学校だより 第14号 山河に学ぶ|publisher=飯田市立千代小学校|date=2012-07-10|accessdate=2019-06-07}}</ref>。
 
==== 千栄分室 ====
千代分館は飯田市立中央図書館の分館の中で唯一の分室である千栄分室を設置している<ref name="tg"/>。設置場所は飯田市千栄2064番地1の毛呂窪公民館である<ref name="cybk"/>。千栄分室の前身は1984年(昭和59年)に始まった千栄地区での土曜貸出であり、2011年(平成23年)5月の毛呂窪公民館移転と同時に分室も移転した<ref name="tg"/>。
 
開館日時は水曜日の15時から17時までと4 - 10月中の奇数週土曜日の14時から16時までであり、サービス内容は千代分館と同じである<ref name="cybk"/>。
 
== 南信州図書館ネットワーク ==