メインメニューを開く

差分

 
[[画像:Ekaterina I.jpg|180px|thumb|left|エカチェリーナ1世]]
1725年に入ってピョートル1世の死期が近づくと、有力大貴族はピョートル1世の長男アレクセイの子[[ピョートル2世|ピョートル・アレクセーエヴィチ]]を後継に推し、新興勢力は皇后エカチェリーナを推して対立した。同年1月28日早朝、[[サンクトペテルブルク]]でピョートル1世が死ぬと、皇后側に就いた近衛部隊が[[元老院]]を押さえ、皇后は同日中にエカチェリーナ1世として即位した。こうして卑賤な生まれのリヴォニア農民の娘がロシア史上最初の女帝となったが、メーンシコフが牛耳る[[最高枢密院]]に実権を握られた傀儡の皇帝に過ぎなかった。ただし、修道女となっていたピョートル1世の先妻エヴドキヤを[[シュリッセリブルク]]要塞の独房に監禁して、復讐心を満たしたりしている。
 
エカチェリーナ1世の治世は2年あまり、[[1726年]]に[[神聖ローマ皇帝]][[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]と同盟を結んだ程度で、目立った実績はないものの、ピョートル1世の改革を続行する形で国政は進んだ。エカチェリーナ1世は婚約者に先立たれた娘エリザヴェータに跡を継がせたいと考えていたが、貴族たちの認めるところとならず、1727年5月6日に女帝が死ぬと、ピョートル・アレクセーエヴィチが[[ピョートル2世]]として即位した。
13,699

回編集