「縄文時代」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Dyamasan (会話 | 投稿記録)
タグ: 2017年版ソースエディター
那波 (会話 | 投稿記録)
→‎概要: 誤字修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
11行目:
 
== 概要 ==
明治時代に始まる日本の先史時代の研究は、当初は[[石器時代]]という概念で先史時代を捉えており、その中で縄文土器を使用した時期と、弥生土器を使用した時期が存在したという叙述が行われていた。また19世紀中は、日本列島の先史時代の住民を[[アイヌ]]や[[コロポックル|コロボックル]]と考える説も有力であり、これらの説が退けられたのは1920年代である。だがこの時期には[[記紀神話]]を日本列島の先史時代の歴史とする歴史叙述が力を持ち、考古学の知見に基づく日本列島の先史時代像が学界を超えて形成され始めたのは第二次世界大戦後となる<ref>[[#yamada2015|山田2015、p.33-51。]]</ref>。
 
戦後に編纂された歴史教科書では日本列島の先史時代に弥生文化と縄文文化の二つの文化の存在を示していたが、[[登呂遺跡]]や[[岩宿遺跡]]の発掘など考古学上の大きな事件が続いたことも影響し、1959年から60年にかけて日本考古学協会から刊行された『世界考古学大系』1巻および2巻において、学界における「縄文時代」「弥生時代」の区分が確立された。<ref>[[#yamada2015|山田2015、p.55-58。]]</ref>
 
縄文時代は、縄文土器が使用された時代を示す呼称であったが、次第に生活内容を加えた特徴の説明が為されるようになり、磨製石器を造る技術、土器の使用、農耕狩猟採集経済、定住化した社会ととらえられるようになった。