「徳川家達」の版間の差分

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| 時代 = [[江戸時代]]末期([[幕末]])- [[昭和時代]]前期
| 生誕 = [[文久]]3年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]([[1863年]][[8月24日]])
| 死没 = [[昭和]]15年([[1940オリンピック年]])[[6月5日]](満76歳没)
| 改名 = 田安亀之助、徳川亀之助、家達、静岳
| 戒名 = 顕徳院殿祥雲静岳大居士
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=== 昭和時代 ===
昭和4年([[1929年]])11月、第6代[[日本赤十字社]]社長に就任、終生、務める。昭和8年([[1933年]])6月9日、貴族院議長を辞したが、その後も貴族院議員は務め続けた。同年8月、翌年東京で開催される予定の第15回赤十字・赤新月国際大会への協力を求めるため、欧米へ発った。昭和9年([[1934年]])4月5日、[[横浜港]]に帰るまで、10か月にも及ぶ長い旅だった。なお、この国際大会は[[アジア]]初の国際会議となった。さらに昭和11年([[1936年]])12月には、[[東京オリンピック (1940年)|1940年の東京オリンピック]]招致成功を受けて、[[東京市]]や大日本体育会などを中心として設立された「第十二回オリンピック東京大会組織委員会」の委員長に就任した。
 
昭和15年([[1940年]])6月5日、76歳で[[薨去]]。[[従一位]]に叙せられ、[[大勲位菊花大綬章]]を受章した。