「青木昌彦」の版間の差分

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{{複数の問題|出典の明記=2016年4月|参照方法=2016年4月|section=1}}
{{ページ番号|section=1|date=2016年4月}}
{{要出典範囲|1938年、[[愛知県]][[名古屋市]]に生まれる。[[湘南学園|湘南学園中学校]]、[[東京都立小山台高等学校]]を経て、1956年[[東京大学]]に入学。学生時代は[[共産主義者同盟]](ブント)の指導部の一人であり、東大在学中に'''姫岡玲治'''の筆名で執筆した論文「民主主義的言辞による資本主義への忠勤-国家独占資本主義段階における[[社会改良主義|改良主義]]批判」は、共産主義者同盟の理論的支柱となり、「姫岡国独資」と略称された。|date=2016年4月}}<ref>{{Cite book|title=経済からみた国家と社会 - 岩波書店|url=http://www.iwanami.co.jp/book/b279027.html}}</ref><ref>{{Cite web|title=人生越境ゲーム|url=http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294037.html|accessdate=2019-06-11|publisher=}}</ref>[[1960年]][[1月16日]]には、[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安保条約]]改定のための[[岸信介]]首相訪米阻止の為に[[東京国際空港|羽田空港]]ロビーを占拠した学生一味に加わり、[[現行犯]][[逮捕]]されている<ref>{{Cite book|author=根井雅弘|title=時代を読む経済学者の本棚|date=2011-12-8|year=|accessdate=|publisher=エヌティティ出版|pages=252-254|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
 
{{要出典範囲|[[1962年]] [[東京大学大学院経済学研究科・経済学部|東京大学経済学部]]を卒業し、学生運動から離脱後、東京大学大学院に進学して近代経済学に転じた。同じブントの仲間であった[[西部邁]]を経済学研究に誘ったのも青木である。[[1964年]]に東京大学大学院経済学研究科修士課程を修了すると渡米しミネソタ大学に留学。[[ジョン・チップマン]]教授の指導を受け、 [[1967年]]に同大博士課程修了([[Ph.D.]])。その後、[[スタンフォード大学]]助教授(1967年)、 [[ハーバード大学]]助教授(1968年)、[[京都大学]]助教授(1969-1977年)、同教授(1977-1984年)を経て、1984年にはスタンフォード大学教授に就任した。[[1990年]]には[[日本学士院賞]]を受賞した。また、2001年度からの約4年間、[[独立行政法人]][[経済産業研究所]]所長を兼任した。2004年にスタンフォード大学教授を退職すると、[[一橋大学]]大学院[[国際企業戦略研究科]]客員教授に就任、2008年には同大学特任教授となった。また、名誉職としては2001年に京都大学名誉教授、2004年にスタンフォード大学タカハシ席名誉教授に就いた。|date=2016年4月}}
*[[日本学術振興会]][[21世紀COEプログラム]]プログラム委員会委員(平成18年度)、社会科学部会長
*[[トヨタ自動車]]株式会社顧問
*[[経済団体連合会]]二十一世紀研究所顧問<ref>{{Cite web|url=http://www.21ppi.org/pdf/about/pamphlet.pdf|title=21世紀政策研究所パンフレット2007-2010|accessdate=2019/06/12 2:47|publisher=日本経団連}}</ref>
*[[経済同友会]]代表幹事特別顧問
*[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]一般規則制定諮問委員会委員<ref>{{Cite web|url=http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/802028.pdf|title=最高裁判所一般規則制定諮問委員会議事概要(第1回)|accessdate=2019/06/12 2:38|publisher=最高裁判所}}</ref>
*[[アジア開発銀行]]研究所アドバイザリーボード委員<ref name=":0">{{Cite web|url=https://www.rieti.go.jp/users/aoki-masahiko/detailed_english_bio.pdf|title=BIO|accessdate=2019/06/12 2:41|publisher=RIETI}}</ref>
*[[世界経済フォーラム]]グローバル・アジェンダ協議会委員
*[[新しい日本を作る国民会議]]代表アドバイザー
*[[スタンフォード日本センター]]理事長<ref name=":0" />
*[[クールノー経済研究センター]]学術委員会委員
*[[清華大学]]公共管理学院産業発展・環境ガバナンスセンター学術委員会共同首席
*ドイツ日本研究所アカデミック・アドバイザリー・ボード委員
<!--以下、年譜形式と叙述形式が乱雑していた「経歴」の節を整理した際に余った部分です。出典は一切ありませんでした。-->
*[[1982年]]に[[Econometric Society]]のフェローに選出され、以後は理事会メンバーや極東部会長などを歴任<ref name=":0" />
*[[1993年]]から[[スウェーデン王立科学アカデミー]]外国人会員を務めた。[[1995年]]から[[1996年]]にかけて理論・計量経済学会(現:[[日本経済学会]])会長を務め、[[2008年]]6月から[[2011年]]まで{{仮リンク|国際経済学連合|de|International Economic Association}}(International Economic Association、略称:IEA)会長を務めた。[[1987年]]には日本経済専門学術雑誌であるJournal of Japanese and International Economies(JJIE)のFounding Editor(創刊時の初代編集長)を務めた<ref name=":0" />
*[[世界銀行]]経済研究所、[[欧州復興開発銀行]]、[[アジア開発銀行]]経済研究所の諮問委員などを務めた<ref name=":0" />
 
== その他 ==
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