削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
2行目:
'''新四軍'''(しんしぐん)は、[[日中戦争]]時期に[[華南]]で活動していた[[中国共産党軍]]の通称である。[[華北]]で活動していた[[八路軍]]と共に現在の[[中国人民解放軍]]の前身となった。
 
日中戦争の勃発を受けて1937年8月に[[第二次国共合作]]が成立した事に伴い、華南の広範囲地域点在散り散りとなって残留していた[[紅軍]]各部隊が集結して中国共産党の指導下で再編制された軍隊組織である。1937年10月12日に[[国民革命軍]]の指揮下に組み込まれて'''新編第四軍'''と名付けられた事から「新四軍」の通称で呼ばれるようになった。
 
== 成立 ==
1934年7月、[[中国国民党]]の[[国民革命軍|大軍]]に、根拠地の[[江西省 (中華民国)|江西省]][[瑞金市|瑞金]]を包囲された[[毛沢東]]率いる[[中国工農紅軍]](後の共産党軍)は当地を放棄して「[[長征]]」を開始し、まず[[四川省 (中華民国)|四川省]]を目指して[[華南]]を西へと横断した。[[国民党軍]]はこれを追撃し、その中で取り残された紅軍の各部隊は[[華南]]各地に潜伏して抵抗を続ける事になった。
 
1936年10月、毛沢東の[[紅軍]]本隊は[[四川省 (中華民国)|四川省]]を更に北上し、彼らを支援する[[ソビエト連邦]]と直接連絡を取れる[[陝西省]][[延安]]まで何とか辿り着いて無事に成功して逃避行を終えた。同年12月に[[スターリン]]の策謀で発生した[[西安事件]]により、[[蒋介石]]は毛沢東と共同して日本軍に対抗する提案に同意させられ、[[第二次国共合作]]への目処が付けられた。
 
1937年7月、[[盧溝橋事件]]が引き金となって[[日中戦争]]が勃発し、翌8月に[[第二次国共合作]]が成立した。それに伴い[[陝西省]]の紅軍本隊は[[八路軍|第八路軍]](八路軍)となって[[国民党軍]]に組み込まれた。また、[[江西省]]・[[福建省]]・[[広東省]]・[[湖南省]]・[[湖北省]]・[[河南省]]・[[浙江省]]・[[安徽省]]といった幅広い地域に残留していた[[紅軍]]各隊にも集合がかけられ、同年10月に中国共産党の指導で一軍として再編制された後に国民党軍の指揮下に入って新編第四軍と名付けられた。これが新四軍である。
 
当時の国民党軍の編制単位序列はおおよそ集団軍>軍>師団となっており、華南に残存していた紅軍の総兵力に見合った「軍」の単位が割り当てられ、それに丁度空席となっていた「第四」の軍ナンバーが振られた。更にこの時期に新編成ないし再編制された軍は、従来のものと区別されて「新編」の接頭辞が付加されており、以上から新編第四軍と命名される事になった。
 
==矛盾==