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[[第一次世界大戦]]と[[第二次世界大戦]]では、科学者は国家によって動員され、[[化学兵器]]や[[核兵器]]の開発に加担し、戦争の帰趨に影響を与え、多くの人々の命を奪ってしまう悲惨な結果を生んでしまった。アインシュタインは「科学技術の進歩というのは、病的[[犯罪者]]の手の中にある斧のようなものだ」<ref>Technological progress is like an axe in the hands of a pathological criminal.</ref>と述べた<ref>http://www.brainyquote.com/quotes/quotes/a/alberteins164554.html</ref>。
特に科学者が加担し開発した[[原爆]]によって[[第二次世界大戦]]中に数十万人が命を落とした、という事実は科学界に重くのしかかり、戦後に原爆開発の経緯が次第に明らかになるにつれ、それに加担した科学者の[[責任]]を問う声が、科学界(科学者集団)の中からも、その外からも上がった。また[[冷戦]]時代にも、[[核戦争]]によって人類が滅亡しかねない状況が何度も起き、やはり科学者の活動の行為責任・社会的責任についての問いは提起されつづけ、(たとえ政治家、国家権力者からそそのかされたり、資金を提供されたり、職を提供されても)研究に着手する前に、それがどのような(悲惨な)結果を人類にもたらすか慎重に検討し、悲惨な結果をもたらす可能性が高い研究はあらかじめ絶対に止めるべきだ、科学に携わる者には責任がある、研究をするということにも行為責任がある、結果として多くの人が死んだらそれはそれを研究してしまった者の責任だ、悲惨な結果を生むと予測できなかった、などという[[嘘]]や[[言い訳]]は通用しない、あらかじめもっと[[倫理]]をふまえた上で研究対象を選ぶべきだ、などといった指摘も科学者からされるようになった。日本ではこのような議論を踏まえ、[[1980年]]に科学者達が「[[科学者憲章]]」を発表した。
 
今では科学は社会から遊離した純粋な知的営為として位置づけることは困難となっている。科学的、政治的、経済的、文化的な価値がどのように科学の研究と技術革新に影響するのか、また科学やテクノロジーがどのように社会・政治・経済・文化に影響を与えているのか、それら相互の関係を研究する領域が[[科学技術社会論]]であり、科学者も参加して研究が行われている。