「葛山信貞」の版間の差分

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天正10年(1582年)、[[織田信長]]の[[甲州征伐]]により、兄の武田勝頼は甲斐国内において滅亡し、信貞も甲府の[[甲斐善光寺]]において自刃した。これにより葛山氏も滅亡した。
 
== 子に関する伝==
公式には信貞に実子は確認出来ない。しかし、『[[摂戦実録]]』によれば、家臣である御宿友綱の子で大坂夏の陣の最終戦・[[天王寺・岡山の戦い]]にて戦死した[[御宿政友]]は実は、信貞の実子という伝説がある。これが事実であれば、政友は信玄直系の孫である。