「関東学院大学」の版間の差分

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====安定成長期・バブル期====
1973年に神学部を募集停止したが、学部、修士課程教育の修了は1970年代末である。バプテスト派の牧師は修士以上が原則のためこうなった。神学者養成としての博士課程が完全に修了するのは80年代に入ってからである。このため学園紛争の傷は80年代に入っても続いた。一方学生側の敗北に終わったため学園全体でしらけムードが漂った。さらに1986年に釜利谷に文学部を移転した。しかし、このころになるともうバブル期であり、学生は個人主義で大量消費社会を謳歌する時代であり学生運動に興味を示すものなどほぼ皆無に等しい。それでも関東学院大は分離を進める。小田原市が造成費用と土地費用を無償提供する公私協力方式によって1991年に法学部が小田原に誕生した。しかも市有地のため政教分離の原則から「チャペルが無い」という異例のミッションスクールキャンパスとなった。1992年には関東学院大学が代ゼミ偏差値C判定(55%合格可能性)で文学部57、経済学部55、法学部55となった。B判定はもっと上の偏差値を取る必要があった<ref>[http://www.geocities.jp/gakurekidata1992/srank.html 代々木ゼミナール1992年受験用偏差値、1991年結果]</ref>。この時代の関東学院の特徴は無宗教化、安定、個人主義化であろう。なお、就職は空前のバブル景気によって好調であった。学園紛争のため関東学院大の中堅私立化は1980年代後半達成と遅れることとなった。
 
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* [[1968年]] - 文学部を設置。これにより関東学院大学は[[総合大学]]となる。
* [[1969年]] - [[共産主義者同盟赤軍派|赤軍派]]が関東学院金沢八景キャンパスで旗揚げした。
* [[1973年]] - 大学紛争の影響で神学部を募集停止、牧師養成機能は[[日本バプテスト同盟]]・日本バプテスト神学校に継承。
* [[1986年]] - 金沢文庫キャンパス開設。文学部は金沢文庫キャンパスに移転。
* [[1991年]] - 法学部設置。小田原キャンパス開設。