「乙羽信子」の版間の差分
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愛称は「オカジ」で、これは本名の「加治(旧姓)」をもじったもの。1950年に東宝で『佐々木小次郎』の映画化が決定したとき、「兎禰」は[[山根寿子]]、「那美」は[[高峰秀子]]と決まったが、「まん」の配役がどうしても決まらなかった。監督の[[稲垣浩]]は宝塚乙女の中から[[宮城野由美子]]と乙羽の二人を候補に挙げたが、両者とも宝塚で重要なスタアであったため、東宝がいくら宝塚歌劇団と関連会社であっても簡単にまとまる話ではなかった。
そのうち、宝塚から「乙羽のほうが可能性があるから本人に会ってくれ」と通知があり、稲垣は乙羽に面会
間もなく乙羽の大映入りは
1990年実施の[[第39回衆議院議員総選挙]]では、[[森村誠一]]や[[丸木政臣]]、[[花沢徳衛]]らと共に
新藤とは夫婦であっても、乙羽は「先生」と呼び、また新藤は「乙羽君」と呼び合っていた。『[[原爆の子]]』に出演した頃に恋仲になった時、新藤には既に妻がおり、忍ぶ間柄であった。しかし、新藤の前妻が亡くなった後の[[1978年]](昭和53年)に結ばれた2人を、前妻の子は祝福し迎えている。「いきなり子供達ができました」と、乙羽は喜んでいた。新藤の監督作品へは「午後の遺言状」まで全作出演しているが、新藤以外との仕事も多くこなし、テレビ・舞台と幅広く活躍。温和な母親役から凄味を感じさせる殺人者役まで善悪硬軟こなせる貴重な名脇役として人気を博した。
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