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ハイデガーの技術論としばしば比較されるのが、フランスのプロテスタント思想家、[[ジャック・エリュール]]の技術社会論である。技術の「自律性」を主題とするエリュールの技術社会論は、[[技術決定論]]の典型としばしば見なされ、現代社会を抜け道のない「鉄の檻」として誤って描き出したとして批判されてきた。
 
テクノロジーへの最も痛烈な批判としては、今ではディストピア文学の古典とされている[[オルダス・ハクスリー]]の『[[すばらしい新世界]]』、[[アンソニー・バージェス]]の『[[時計じかけのオレンジ]]』、[[ジョージ・オーウェル]]の『[[1984年 (小説)|1984年]]』などがある。また、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の『[[ファウスト (ゲーテ)|ファウスト]]』ではファウスト博士が悪魔に魂を売って物理世界を超越した力を得るが、これはテクノロジーによる工業化の進展の比喩と解釈されることがある。
 
1980~90年代の反テクノロジー的論文のひとつとして、[[セオドア・カジンスキー]]([[ユナボマー]])の ''[http://en.wikisource.org/wiki/Industrial_Society_and_Its_Future Industrial Society and Its Future]'' を挙げることも可能であろう。彼の起こした爆破事件をやめさせるため、この論文が複数の主要な新聞に掲載され、後には本にも収録された。カジンスキーは、エリュールの技術社会批判から少なからぬ影響を受けたと言われている。