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[[ファイル:1906 French Grand Prix Szisz.jpg|thumb|left|200px|1906年に初開催された[[フランスグランプリ]]の様子。先頭を走るのはルノーを駆るフェレンク・ジス。]]
一方、フランスでは[[1901年]]に[[ポー]]で開催されたレースでは、クラス毎に分けた取り組みがなされた。軽量クラスに与えられた「グランプリ・デュ・パレ・ドール ({{lang-fr-short|Grand Prix du Palais d’Hiver}})」、重量(最速)クラスに与えられた「グランプリ・ド・ポー ({{lang-fr-short|Grand Prix de Pau}}」と賞の名前に初めて「'''[[グランプリ (モータースポーツ)|グランプリ]]'''」が使用された。グランプリは「{{lang-en-short|Grand Prize}} = グランドプライズ」すなわち「大賞・最高賞」を意味する言葉であり、これが起因して今日では最高位レースにグランプリという名称が使用されるようになった。1906年にフランス自動車クラブ ({{lang-fr-short|Automobile Club de France, ACF}}) が主催して「ACFグランプリ(通称[[1906年フランスグランプリ]]」が開催される。一般公道を使用するレースは後述する1903年に開催されたパリ〜マドリード間レースでの死亡事故によって禁止されていたが、ゴードン・ベネット・カップをヒントに公道を閉路として使用した「クローズドロードレース」として[[ル・マン]]で開催され、1周103.18kmを12周、合計1238.16kmで争われるレースであった。その後1907年、1908年、1912年は[[ディエップ (セーヌ=マリティーム県)|ディエップ]]にて、1913年は[[アミアン]]、1914年は[[リヨン]]と[[第一次世界大戦]]が勃発するまで開催された。余談ではあるが、終戦後の最初のフランスグランプリは1921年に再びル・マンに戻され、現在の[[サルト・サーキット]]の原型となる場所で開催された。また、ポーも1930年に国際レースとしてフランスグランプリが開催された場所でもある。ポーは1933年より「[[ポー・グランプリ]]」と呼ばれ、開催されなかった1934年、1940年から1946年、1956年、そして2010年を除いてF1、F2、F3、WTCCなどなんらかの国際競技が開催されるなどこれらの都市はフランスにおけるレースの聖地となっている。
 
[[ファイル:1908 New York to Paris Race, Roberts.jpg|thumb|right|200px|ニューヨーク~パリ間レースに出場するトーマス・フライヤーの車両と、ドライバーのジョージ・シャスター、クルー達。<br>(写真は1908年2月12日)]]