「連合国軍最高司令官総司令部」の版間の差分

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===文化===
日本国民に対しアメリカ文化の浸透を図るべく、[[アメリカ合衆国の映画]]の統括配給窓口会社[[セントラル映画社|CMPE]] (Central Motion Picture Exchange) を東京に設立した。このCMPEに一時在籍した[[淀川長治]]によれば、「忘れもしないメイヤーという名の支配人は映画より国策に心を砕く、あたかもマッカーサー気取りの中年男だった」そうで、ヨーロッパ映画びいきの記者を試写から締め出したりの傲岸不遜振りに、[[1952年]](昭和27年)にこの会社が解体された際は映画関係者たちは喝采を挙げたという。一方で国産映画は、終戦後の焼け野原や進駐軍による支配を示す情景を撮影することが禁じられたため、長い間街頭ロケすらできない状態に置かれた。
 
子供達の文化媒体であった[[紙芝居]]では、「[[黄金バット]]」の「髑髏怪人」というキャラクターを、「[[スーパーマン]]」のような「たくましい金髪碧眼の白人キャラクター」に一時期変更させている。しかしこれは全く支持されることなく無視された。
 
進駐軍の兵士が利用する『進駐軍クラブ』により最新の英米の文化がもたらされた。日本人立ち入り禁止のクラブも多かったが、給仕や演奏者は日本人を採用する方針がとられた。当時のアメリカでは[[スウィング・ジャズ]]がヒットしており、ジャズができる出演者が採用されたことで生活基盤が出来、日本において[[ジャズ]]が浸透する下地ともなった<ref>[http://www.tontonclub.com/visit/walk/06/ 街歩きに出かけよう:Vol.6 進駐軍ジャズの跡を訪ねて - TONTON club]</ref>。出演する人間の出演料は日本側の終戦連絡事務局、1949年6月からは特別調達庁より出ていた。各軍政部が日本側に要求を出した結果、日米間で問題になり特別調達庁が演奏家の格付審査を行った。出演者には[[笠置シヅ子]]や[[ジョージ川口]]などがいた。これらの音楽文化を題材とした作品として[[この世の外へ クラブ進駐軍]]などがある。