「青島の戦い」の版間の差分

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1914年(大正3年)の第一次世界大戦で[[日本]]はドイツに[[宣戦布告]]し、青島の攻略に乗り出した。[[大日本帝国海軍]](日本海軍)は旧式艦を中心とした[[第二艦隊 (日本海軍)|第2艦隊]]を展開して青島を[[海上封鎖]]した。[[マクシミリアン・フォン・シュペー]]中将指揮するドイツ東洋艦隊主力は海上封鎖を予期して開戦前に青島を発っており、ドイツ本国へ向かったが[[フォークランド沖海戦]]で壊滅した。[[防護巡洋艦]]「[[エムデン (軽巡洋艦・初代)|エムデン]]」は開戦直後に青島を脱出し、[[インド洋]]上で[[通商破壊]]を展開した。
 
青島に残ったドイツ海軍艦艇は洋上行動能力の乏しい小型艦だけで、[[駆逐艦]]「太沽([[タークー (水雷艇)|タークー]]」、[[水雷艇]]「[[S90 (水雷艇)|S90]]」、[[砲艦]]「[[イルティス (砲艦)|イルティス]]」「[[イルティス級砲艦|ヤグアール]]」「[[ティーガー (砲艦)|ティーガー]]」「[[イルティス級砲艦|ルクス]]」などであった。ほかに旧式[[巡洋艦]]「コルモラン」が居たが、備砲を[[仮装巡洋艦]]の[[武装]]用に提供した上、[[自沈]]した。オーストリアの防護巡洋艦「[[カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦|カイゼリン・エリザベート]]」も在泊中だったが、出撃を断念して武装のほとんどを要塞用に陸揚げした。水雷艇「S90」は10月18日0時、[[雷撃]]により日本の防護巡洋艦「[[高千穂_(防護巡洋艦)|高千穂]]」を[[撃沈]]したが、翌日に自沈した。その他の[[中央同盟国|同盟国]]側艦艇も自沈などで全滅した。
 
=== 攻囲戦と要塞砲撃 ===