「野球界の永久欠番」の版間の差分

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*: 前身の東映フライヤーズ時代では、[[1962年]]に初優勝した時、当時のオーナー・[[大川博]]が「'''100'''」の背番号を付けたユニフォームを着用し、パレードなどに参加したことがあった。なお、[[東映]]製作による記録映画として『[[1962年の東映フライヤーズ#映画『東映優勝 背番号100』|東映優勝 背番号100]]』が同年制作・公開されている。
*: また日本ハムファイターズ時代の[[1993年]]から[[2005年]]までは、マスコットの「[[北海道日本ハムファイターズ#マスコット|ファイティー]]」が付けていた。
*:2019年シーズンからは育成選手が入団したが、永久欠番のため背番号100の使用はできなくなっている。
*:日本ハムでは、選手の背番号に関しては、恒久的な永久欠番を制定しない方針と報じられている<ref name="sponichi121210">{{Cite news|title=エースの象徴がたった1年で…ダル父  ハムの背番号“管理”疑問|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/12/10/kiji/K20121210004746600.html |newspaper=スポーツニッポン|date=2012年12月10日|accessdate=2018年3月21日}}</ref><ref name="sponichi180117">{{Cite news|title=ハム、大谷「1111」は“半永久欠番”  次のスター登場まで空き番号|url= https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/01/17/kiji/20180117s00001173053000c.html |newspaper=スポーツニッポン|date=2018年1月17日|accessdate=2018年3月21日}}</ref>。
 
; [[広島東洋カープ]]