「失われた10年」の版間の差分

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多数の企業[[倒産]]や、従業員の[[解雇]]([[リストラ]])、金融機関を筆頭とした企業の統廃合などが相次いだ。この10年で本来通り成長していれば、100兆円得られたという試算もある<ref>佐藤雅彦・竹中平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 日本経済新聞社学〈日経ビジネス人文庫〉、2002年、377頁。</ref>。[[1991年]](平成3年)3月から始まった「失われた10年」は、バブル崩壊([[平成不況]])に始まり、[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]によって[[2002年]](平成14年)1月を底とした外需先導での景気回復により終結した。
 
ただし、この期間中にも、[[1993年]](平成5年)末頃から[[1997年]](平成9年)前半頃まで、[[カンフル剤]]注入政策([[公共投資]]による景気回復政策)による「カンフル景気」または、「さざ波景気」([[景気拡張期]])、その後の「[[アジア通貨危機|アジア金融不況]]」([[景気後退期]])、[[1999年]](平成11年)初頭から[[2000年]](平成12年)春頃にかけての「[[インターネット・バブル|IT景気]]」(景気拡張期)と、その後の「IT不況」(景気後退期)で景気の波はあった。ちなみに、その後の景気回復は、6年1ヶ月の長期間であったため、「[[いざなみ景気]]」と呼ばれたが、「だらだら陽炎景気」とも呼ばれた。その後は[[アメリカ合衆国]]で起こった[[サブプライム住宅ローン危機]]をきっかけに大不況(「[[世界金融危機 (2007年-)|世界金融不況]]」、「世界同時不況」)に陥った。
 
== 原因 ==