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食品とされるものは文化・地域的な的な差が小さくなく、ある地域において重要な食品とされているものが他地域では食品とみなされていないということは珍しくない。例えば[[昆虫]]は、[[熱帯]]や[[亜熱帯]]を中心にかなりの文化が[[昆虫食]]の文化を持っている一方、ほとんど昆虫食文化を持たず食品とすることに強い抵抗感を示す地域も多く存在する<ref>「食文化としての昆虫食」p43 野中健一 (「文化昆虫学事始め」所収 三橋淳・小西正泰編 創森社 2014年8月20日第1刷)</ref>。
 
また各[[宗教]]ごとに[[戒律]]などの食物規定が大きく異なるので、各宗教圏ごとに食べられるものが異なっている。例えば[[ユダヤ教]]では[[トーラー]](モーセ五書)の規定により[[カシュルート]]と呼ばれる食物規定がありその規定に適合したものだけが「カシェル」(=清浄規定に適合し食べてよいもの)とされ、豚肉、クラゲ、ナマズ、サメ、アワビ、ハマグリ、ホタテガイ、カニ、エビ、イカなどはそもそも「[[不浄な生き物]]」とされ食べることを禁じられており、また血は絶対に食べてはいけないとトーラーで規定されているので、たとえ「食べても良い」とされる種類の動物であっても定められた手順であらかじめ血抜きをしなければ「カシェル」とは認定されず、ユダヤ教徒は食べることができない。また狩猟で得られた動物の肉も食べていけないと規定されているので、フランスなどで「[[ジビエ]]」と呼ばれ好まれている肉類もユダヤ教徒は食べることができない。[[キリスト教]]ではトーラーに書かれていることはあくまで「旧い(ふるい)契約」と考え、[[イエス・キリスト]]によって[[ヤハウェ]]と人間との間に「新しい契約」が確立された、とされており、またイエスは「聞いて悟りなさい。口に入るもの(=食品)が人を汚すのではない。口から出てくるもの(=発言の内容や、ひとりひとりが心に思っていること)が人を汚すのである。」との教えを残し(『[[マタイによる福音書]]』15:10-)、食物規定を守ることばかりに必死になって、それよりも肝心なことはないがしろにしてばかりのユダヤ教徒たちに向かってユダヤ教の食物規定を真っ向から否定し、もっと大切なことのほうに意識を向けなさい、と教え諭した。こうしてキリスト教では、食物規定に意識を向けて奪われそれを守ろうとこだわり続けること自体がイエスの教えに反すること、との位置づけになり、[[パウロ]]はユダヤ教の(既に廃止された旧い契約の)食物規定群のほとんどを撤廃すべきだ、とし[[エルサレム会議]]にて(わずかな規定を残して)ほぼ全て廃止した。その結果キリスト教的には大抵の食品はキリスト教の規定違反などとはならないので[[キリスト教徒]]は安心した状態で様々な食品を(純粋に栄養学的な観点や、個人的な嗜好や、またただの興味などの観点からでも)試すことができる状態なのである。[[イスラム教]]では[[クルアーン]]で「不浄」とされる[[豚]]を食べることが禁忌とされ、[[ヒンドゥー教]]において「聖獣」とされる[[牛]]の[[牛肉|肉]]を食することができない。
 
さらに、世界のほとんどで食用とされないものを、ある文化の人々が特殊な処理方法によって食品とすることもある。例えば[[フグ]]には強い[[毒]]があるためほとんどの文化では食用としないものの、日本においては有毒部分を取り除いたものが美味として広く流通している。