「大府飛行場」の版間の差分

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滑走路とはいっても元の大府飛行場の一角をならしただけで、[[ラバウル]]基地よりひどいといわれたが、それでも当時自前の飛行場はここしかなかった<ref name="あ航空史" />。
 
同年8月15日、かつて大府飛行場で生産されていた「飛竜」と同じ名前を与えられた水陸両用機「飛竜」([[リパブリック・ア RC-3 シーション]]RC3型シーバー)と、「白鳩」([[パイパー・エアクラフト カブ|パイパー PA-20]]PA20)の2機からスタートした。
 
1952年(昭和27年)11月、[[ベル・エアクラフト]][[ベル47 (航空機)|ベル 47D型]]3人乗り[[ヘリコプター]]が大府飛行場に到着。後に同機は[[川崎重工]]に引き取られ、国産ヘリコプター第1号開発のための技術調査に一役かった。
 
[[1953年]](昭和28年)2月、中日社機「飛竜」が、滑走路東側土手に激突、乗員2人が重傷となる事故が発生。