「琴別府要平」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
35行目:
こうした経緯があったため入幕前後までは「無理するな」と微笑ましく見守られていたが、その後は部屋のホープの一人として、厳しく指導されるようになったという。本人も引退後に「失敗しても家業を継げばいいなどとしつこく言われてきたので、だからこそボロボロになるまで戦い抜いてやろうと思った。」と当時の稽古振りの背景にあった事情を語っていた。
一度
引退後は協会に残らず、「ちゃんこは冬だけ。ラーメンなら一年中いける」とすぐに修行に入った。その後、[[千葉県]][[鎌ケ谷市]]で「黒門ラーメン 千葉本店」を経営していたが、[[2007年]]、実家の豆腐屋を継ぐため店をたたんで帰郷した。一時期は地元の資料館のトイレ掃除など月収7万円の生活に陥ったという<ref name="2017nennoseikatsu">[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171205-OHT1T50131.html “若貴キラー”琴別府、2度の脳梗塞にくも膜下出血もラーメン店開業「一歩一歩、今を見て生きていく」] スポーツ報知 2017年12月5日19時43分 (報知新聞社、2017年12月15日閲覧)</ref>。しかし千葉まで食べにいけなかった地元ファンへの配慮から姉がラーメン屋開業を提案し、現在は共に[[2013年]]から大分県別府市亀川にある「らーめんいっちゃん 琴別府店」を経営している。店名の由来は亡き父親の愛称「いっちゃん」、そして父親が一番可愛がっていた「琴別府」の名からつけられたものである。なお、黒門ラーメンを経営していた頃と2011年に1回ずつ脳卒中で倒れており、腰、股関節、ひざも思うように動かないなど、引退後も満身創痍である<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/feature/ramen_history/article/292856 <50>元関取“不屈の男”の一杯 いっちゃん 琴別府店(大分県別府市)] 2016/12/01 西日本新聞朝刊 </ref>。2017年の時点では築4年の風呂なし4LDKに居住していると報じられている<ref name="2017nennoseikatsu"/>。
|