「琴別府要平」の版間の差分

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こうした経緯があったため入幕前後までは「無理するな」と微笑ましく見守られていたが、その後は部屋のホープの一人として、厳しく指導されるようになったという。本人も引退後に「失敗しても家業を継げばいいなどとしつこく言われてきたので、だからこそボロボロになるまで戦い抜いてやろうと思った。」と当時の稽古振りの背景にあった事情を語っていた。
 
一度十両を経験しながら序ノ口まで降下した力士が入幕を果たした例は琴別府が初めてであった<ref>2人目は[[竜電剛至|竜電]](2018年1月場所新入幕、2019年7月場所新三役)。</ref>。同部屋の先輩である[[大関]]・[[琴風豪規|琴風]]が膝の負傷で[[関脇]]から[[幕下]]まで陥落後再起を果たし「地獄を見た男」と呼ばれたことになぞらえて、「新・地獄を見た男」と呼ばれた。その新入幕の場所、巨体を利して前に出る徹底した押し相撲で10勝5敗と二桁勝利を挙げ敢闘賞を受賞、注目を集めた。翌[[1993年]]1月場所10日目、この場所に[[大関]]昇進を賭ける関脇・[[貴乃花光司|貴花田]]を一気に押し倒した相撲でますます評価を高くした<ref>この一番で1993年1月場所の勝ち越しを決めたこともあり、これを報じる新聞に、「『地獄を見た男』の天国」という見出しが多かった。琴別府本人もこの相撲を思い出の一番としている。</ref>が、13日目に[[旭道山和泰|旭道山]]の蹴手繰りに敗れた際左太腿を痛め休場に追い込まれ<ref>「とても相撲が取れる状態ではない」と言われたほどの重傷であった。前回は、再十両直前の場所の[[栃天晃正嵩|栃天晃]]との相撲で負傷。この休場により連続[[三賞]]受賞も逸す。これをきっかけに三賞受賞は原則として関脇以下での勝ち越しの他、場所皆勤が条件となるのだった。</ref>、この場所は勝ち越していたため番付は上がったものの、その後は体重の急増によって動きが悪くなり、伸び悩んだ。この蹴手繰りでの負傷・休場というパターンは復活後2回にわたって発生しており、地獄を見た男のはまったさらなる地獄として印象に残り、相撲雑誌にも[[やくみつる]]によって『けたぐり地獄』なる地獄にはまりこみ鬼に「オニでも泣けてくるじゃねえか」と泣かれるという一コマ漫画が描かれたほどである。[[1997年]]1月場所を最後に幕内から陥落。十両でも思うような結果が結果が残せなくなり、11月場所には[[幕下]]に陥落し、12日目の相撲を最後に現役を引退した。
 
引退後は協会に残らず、「ちゃんこは冬だけ。ラーメンなら一年中いける」とすぐに修行に入った。その後、[[千葉県]][[鎌ケ谷市]]で「黒門ラーメン 千葉本店」を経営していたが、[[2007年]]、実家の豆腐屋を継ぐため店をたたんで帰郷した。一時期は地元の資料館のトイレ掃除など月収7万円の生活に陥ったという<ref name="2017nennoseikatsu">[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171205-OHT1T50131.html “若貴キラー”琴別府、2度の脳梗塞にくも膜下出血もラーメン店開業「一歩一歩、今を見て生きていく」] スポーツ報知 2017年12月5日19時43分 (報知新聞社、2017年12月15日閲覧)</ref>。しかし千葉まで食べにいけなかった地元ファンへの配慮から姉がラーメン屋開業を提案し、現在は共に[[2013年]]から大分県別府市亀川にある「らーめんいっちゃん 琴別府店」を経営している。店名の由来は亡き父親の愛称「いっちゃん」、そして父親が一番可愛がっていた「琴別府」の名からつけられたものである。なお、黒門ラーメンを経営していた頃と2011年に1回ずつ脳卒中で倒れており、腰、股関節、ひざも思うように動かないなど、引退後も満身創痍である<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/feature/ramen_history/article/292856 <50>元関取“不屈の男”の一杯 いっちゃん 琴別府店(大分県別府市)] 2016/12/01 西日本新聞朝刊 </ref>。2017年の時点では築4年の風呂なし4LDKに居住していると報じられている<ref name="2017nennoseikatsu"/>。