「ヘブライ語」の版間の差分

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現代ヘブライ語は、[[20世紀]]に日常語として復活した。しかし、ヘブライ語が日常語として用いられなくなっていた時代でも、ヘブライ語による著述活動は約1800年間、途切れることなく続いていたのであり、全くの死語となっていたわけではなく文章言語としては存続していたものの、話し言葉としてはほぼ消滅していた<ref>「日常語になった現代ヘブライ語」p116-117 鴨志田聡子(「イスラエルを知るための62章 第2版」所収 立山良司編著 明石書店 2018年6月30日第2版第1刷)</ref>。しかし19世紀後半にユダヤ人の間で[[シオニズム]]が勃興しパレスチナに入植地を建設する構想が動き出すと、現地での使用言語を決定することが必要となり、ヘブライ語の復活が決定された。こうして再興されることとなったヘブライ語であったが、知識人の間では文章言語として使用され続けていたものの、長い年月の間にヨーロッパ圏とアラブ圏に伝わっていたヘブライ語には発音のずれが生じており、また語彙が決定的に少ないなど、生活言語として使用するには問題が山積している状態だった。この状態を解消するために発音や語順などの整備が行われ、日常言語としての基盤が作られていった<ref>「物語 エルサレムの歴史」p165-166 笈川博一 中央公論新社 2010年7月25日発行</ref>。現代ヘブライ語は[[ミシュナー]]・ヘブライ語など後世の言語的特徴を多く含む。
 
1880年代にユダヤ人移民の第一波がパレスチナに到着するようになると、現地在住の移民の間でヘブライ語が共通語として少しずつ使われはじめた<ref>「日常語になった現代ヘブライ語」p117 鴨志田聡子(「イスラエルを知るための62章 第2版」所収 立山良司編著 明石書店 2018年6月30日第2版第1刷)</ref>。[[19世紀]]に[[ロシア]]からパレスチナに移り住んだ[[エリエゼル・ベン・イェフダー]](1858年 - 1922年)は、ヘブライ語を日常語として用いることを実践した人物であり、ヘブライ語復活に大きな役割を果たした(彼の息子ベン・ツィオンは生まれてから数年間はヘブライ語のみで教育され、約二千年ぶりにヘブライ語を母語として話した人物となった)。しかし、彼が聖書を基に一から現代ヘブライ語を作ったわけではない。彼の貢献は主に語彙の面におけるものであり、使われなくなっていた単語を文献から探し出したり、新語を作ったりして、現代的な概念を表すことができるようにした。そのために全16巻からなる『[[ヘブライ語大辞典]]』を編纂したが、完成間近で没し、死後に出版された<ref>「物語 エルサレムの歴史」p166-167 笈川博一 中央公論新社 2010年7月25日発行</ref>。またベン・イェフダーを中心として1890年にヘブライ語委員会が設立され、語彙の拡大などを中心としたヘブライ語の復活はさらに進められた<ref>「イスラエル文学」p256-257 樋口義彦(「イスラエルを知るための62章 第2版」所収 立山良司編著 明石書店 2018年6月30日第2版第1刷)</ref>。このヘブライ語委員会はヘブライ語の統制機関として機能し続け、1953年に[[ヘブライ語アカデミー]]へと改組された
 
こうしたユダヤ人の努力によってヘブライ語は話し言葉として再生され、1920年代にはすでに現地のユダヤ人の間で広く使用されるようになった記録が残っている。1948年に[[イスラエル]]が建国されるとその[[公用語]]のひとつとなった<ref>「日常語になった現代ヘブライ語」p118 鴨志田聡子(「イスラエルを知るための62章 第2版」所収 立山良司編著 明石書店 2018年6月30日第2版第1刷)</ref>。イスラエル政府はヘブライ語の共通語化と使用を強く推進している。世界各地からユダヤ教徒がイスラエルへ移民しているため、イスラエルにおいてはイスラエルへの移民であるか否かを問わず、またイスラエルへ定住する意思の有無を問わず、誰でもヘブライ語を学習することができる成人を対象としたヘブライ語の教育機関として[[ウルパン]]が設立されている<ref>「日常語になった現代ヘブライ語」p118-119 鴨志田聡子(「イスラエルを知るための62章 第2版」所収 立山良司編著 明石書店 2018年6月30日第2版第1刷)</ref>。
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|date=2006-9
|accessdate=2014-06-29}}</ref>。彼らのほうが、成人になってから[[ウルパン]]というヘブライ語教室においてヘブライ語を少しだけ学ぶユダヤ系米国人たちよりもヘブライ語に堪能であると思われる。その背景として、ヘブライ語とアラビア語は、文字は異なるが、共にセム語派の言語であり、文法や語彙などにおいてかなり類似点があるからである。また、現代のパレスチナだけではなくイスラエル国内においても多数のアラブ系イスラエル人が居住し、イスラエル建国以前はアラブ人の都市や村落も多数あるため、アラビア語起源の人名や地名など固有名詞のヘブライ文字化も行われている。具体的には、アラビア語で「ようこそ」などを意味するاهلا وسهلا(アハラン・ワ・サハラン)はאהלן וסהלןとヘブライ文字化される。
 
ヘブライ語使用はイスラエル国内において定着しており、同国内の新刊書籍の約9割がヘブライ語書籍によって占められ、またヘブライ語による文学作品も多数発表されるようになり<ref>「イスラエル文学」p256-260 樋口義彦(「イスラエルを知るための62章 第2版」所収 立山良司編著 明石書店 2018年6月30日第2版第1刷)</ref>、1966年にはヘブライ語作家である[[シュムエル・アグノン]]が[[ノーベル文学賞]]を受賞した。
 
イスラエルにおいては、[[グローバリゼーション]]と[[アメリカニゼーション|アメリカ化]]の風潮の中で、ヘブライ語を主な使用言語に保ち続け、またヘブライ語の語彙に英語の単語が大規模に取り入れられるのを防ぐためのさまざまな措置が取られてきた。[[ヘブライ大学]]に設置されている[[ヘブライ語アカデミー]]は、英単語をヘブライ語の語彙の中に組み込む代わりに、現代の単語の意味を捉え、それに対応するヘブライ語の単語を見つけだすことによって、毎年約2000個の新しいヘブライ語の単語を創造している。[[ハイファ]]自治体は職員に対し公文書における英単語の使用を禁止させ、また民間事業においても英語のみの看板を使用することを阻止する動きを見せている<ref>{{cite web|url=http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4333113,00.html |title=Keeping Hebrew Israel's living language – Israel Culture, Ynetnews |publisher=Ynetnews.com |date= 2013-01-17|accessdate=25 April 2013}}</ref>。2012年には、イスラエルの[[クネセト]]([[国会]])においてヘブライ語の保存に関する法案が提案された。この法案には、イスラエル政府の公式発表と同様に、イスラエルにおけるすべての看板において、まず第一にヘブライ語を使用しなければならないという規定が含まれている。この法案を作成したMK Akram Hassonは、この法案はヘブライ語の「威信の低下」と、子供たちが多くの英単語を自らの語彙に取り入れたことへの対策として提案されたと述べた<ref>{{cite web|last=Danan |first=Deborah |url=http://www.jpost.com/NationalNews/Article.aspx?id=297627 |title=Druse MK wins prize for helping preserve Hebrew &#124; JPost &#124; Israel News |publisher=JPost |date=28 December 2012 |accessdate=25 April 2013}}</ref>。