「チェコスロバキア社会主義共和国」の版間の差分

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この一連の動きを知ったチェコスロバキアの反体制派の学生はデモを実施し、それがきっかけで[[ビロード革命]]が起きた。この革命で、チェコスロバキアは[[チェコスロバキア共産党|共産党]]一党独裁を放棄することとなった。
 
== 経済 ==
チェコスロバキアはかつての[[オーストリア=ハンガリー帝国]]時代に早くから産業革命が進み、1930年代には世界第7位の工業国<ref>この頃すでに戦車などの兵器開発と生産を自国で行える程にまで発達している([[LT-38]]戦車などがある)</ref>であり、1970年時点でも共産主義政権下にある東ヨーロッパ諸国の中で最も進んだ工業国であった。農業地域が中心を占めるスロバキアを除くと、主な産業は工業である。金属、機械、自動車<ref>[[シュコダ]]や[[タトラ (自動車)|タトラ]]などが有名</ref>、製鉄、繊維のほか、著名なガラス工業([[ボヘミアングラス]])が盛んであった。このほか兵器製造<ref>[[Vz 58]]([[突撃銃]])、[[Vz 61]]([[短機関銃]])、[[Cz75]]([[自動拳銃]])などの小火器類や、[[ダナ 152mm自走榴弾砲]]や[[RM-70]]などの戦闘車輌、[[L-39 (航空機)|L-39アルバトロス]]高等[[練習機]]、[[プラスチック爆弾]]の一種である[[セムテックス]]など</ref>、[[ビール]]<ref>[[ピルゼン]]でのピルスナービール生産や[[ブドヴァル]]ブランド</ref>を中心とした食品工業、ガラス以外の窯業も確立していた。生産規模では鉄鋼が最大である。[[経済相互援助会議]](COMECON)加盟国であり、ソビエト連邦を中心とした経済分業体制の中で重工業製品の市場を東欧圏で確保していた。しかし、性能やデザインなどで徐々に西側諸国からの立ち後れが隠せなくなり、政治的配慮を必要としない真の国際競争力は失われていった。また、東側諸国の中でも保守的な共産党体制は、徐々に悪化する経済状況への改革やハンガリーに比較して遅れた西側資本の導入へ効果的な対策を打てなかった。
 
鉱業では、燃料としてつかわれる[[褐炭]]が東ヨーロッパ諸国内の3位を占めるだけであり、エネルギー以外の工業原材料の6割を輸入に頼っていた。例えば石油はソビエト連邦から[[ドルジバパイプライン|ドルジバ]][[パイプライン輸送|パイプライン]]を利用して輸入していた。これは[[石油輸出国機構]] (OPEC) 加盟国などによる国際的基準よりかなり低い価格に設定されており、チェコ経済の重要な基幹となっていたが、同時に経済面でもソビエト連邦へ服属することも意味していた。
 
農業では、小麦を中心とした麦、サトウダイコン、ジャガイモ、トウモロコシを中心とし自給可能であった。
 
貿易では、社会主義国同士の取引が最大ではあったが、貿易額の30%は非社会主義国が占めていた。主な輸入品は燃料と工業原材料、ついで穀物、食料品。主な輸出品は機械、石油化学によるガソリンやナフサ、自動車、皮革などである。ガラス工業は金額ベースでは少なかった。
 
== 脚注 ==