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なかでも意欲的だったのは[[連合赤軍]]を題材とした作品で<ref name="シナリオ199010">[[田村孟]]「映画に遠い脚本家〈その2〉 『連合赤軍』ロングロングアゴウ」『月刊シナリオ』1990年10月号、pp.48-51</ref>、1980年前後に[[東京地方裁判所|東京地裁]]であった連赤統一公判の公判日には、[[田村孟]]と欠かさず通い<ref name="シナリオ199010"/>、シナリオ化して監督するとの構想を語っていた<ref name="シナリオ19826"/><ref>白井佳夫『監督の椅子』(1981年、話の特集)p.256</ref><ref>「大友克洋との次の仕事 長谷川和彦インタビュー」『SFイズム』5号(1983年、シャピオ)p.73</ref>。田村は「[[加藤能敬|加藤3兄弟]]」を軸として本を書き、長谷川は『[[仁義なき戦い]]』のような、ドキュメンタリータッチで、[[日本の学生運動#全学連の結成から安保闘争へ|戦後学生運動史]]のような映画にしたいと[[黒沢清]]を助手にして年表作りまでして構想を練り<ref name="シナリオ199010"/>、[[高橋伴明]]もずっと手伝う約束をしていたというが<ref>[http://www.holic-mag.com/hogaholic/int/int10.html INTERVIEW:高橋伴明インタビュー - HogaHolic | ホウガホリック]</ref>、その後頓挫している。[[2008年]]に『[[実録・連合赤軍 あさま山荘への道程]]』を撮った[[若松孝二]]監督は「ゴジが撮る撮るといっていっこうに撮らないから俺が撮った」と話している<ref name="cinema-magazine" /><ref>[http://eigageijutsu.com/article/103758801.html 映画芸術: 映芸マンスリーVOL14]</ref>。
 
[[1980年代]]以降は『[[近代麻雀]]』や『[[週刊ポスト]]』などに雀士として登場したり、『[[スーパーワイドぴいぷる]]』([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])のレギュラーを受け持つなど、本業以外で名前があがっていた。雀士として[[井上陽水]]などを麻雀仲間に引き込み文化人と交流させた{{refnest|group=注|井上陽水が麻雀を通じて文化人と交流を持った経緯は、まず「[[話の特集]]」の[[矢崎泰久]]がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に[[五木寛之]]に連れて行かれ、そこで矢崎、[[ばばこういち]]、[[阿佐田哲也]]に会い、この後、長谷川と知り合い、長谷川に[[近代麻雀]]に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで[[長門裕之]]、[[黒鉄ヒロシ]]、[[畑正憲]]らと知り合った<ref>[[井上陽水]]・[[えのきどいちろう]]『井上陽水全発言』、[[ベネッセコーポレーション|福武書店]]、1994年、131頁。</ref>。}}。第13・14・15期麻雀名人、第9期近代麻雀王位、第8期麻雀最強位。
 
浮名にも事欠かない<ref name="新潮198333" />。早くに結婚してすぐに子供もできたが、女優・[[沖山秀子]]との仲が取沙汰されたり<ref name="新潮198333" />、[[田淵幸一]]の離婚話が出た際に田淵夫人の田淵博子の浮気相手に擬せられたこともある<ref name="新潮198333" />。[[1988年]]からは女優の[[室井滋]]との不倫と同棲生活がマスコミを騒がせて<ref>「半同棲中 室井滋の『結婚して』に長谷川和彦監督が冷や汗!」『[[アサヒ芸能]]』1988年11月17日、p.45</ref><ref>「噂の不倫相手はひと回も年上 室井滋 13才年上の映画監督と半同棲」『[[女性自身]]』1991年9月10日、pp.66-67</ref>、[[1992年]]に妻と離婚し<ref>「長谷川和彦監督離婚!噂の室井滋といよいよ再婚か」『FLASH』1992年7月29日号、pp.8-9</ref>、室井と同居生活を送っている<ref>「室井滋 映画監督長谷川和彦氏 キトキト同棲中 『いってらっしゃ~い』1億円豪邸前でまるで夫婦のツーショット」『週刊女性』1995年11月28日号、pp.39-41</ref><ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20140423_252108.html 朝ドラで農家役の室井滋 実生活でも家庭菜園・野草採取する]</ref>。