「天台徳韶」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
'''天台徳韶'''(てんだい とくしょう、[[大順 (唐)|大順]]2年([[891年]]) - [[開宝]]5年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]([[972年]][[8月9日]]))は、[[中国]]の[[五代十国時代]]の[[法眼宗]]の[[僧
== 略歴 ==
[[開運 (後晋)|開運]]年間に[[台州市|台州]][[刺史]]として赴任してきた銭弘俶に、帰都を勧め、[[胡進思]]のクーデターにより[[銭弘シュウ|銭弘倧]]が廃されて銭弘俶が新王に擁立された。後に[[乾祐 (五代後漢)|乾祐]]元年([[948年]])、[[杭州]]に招かれて国師となった。[[義寂]]の依頼で散逸した[[智ギ|天台智顗]]の書物を銭弘俶に依頼して[[高麗]]より取り寄せ、天台の教義を復興させた。
説法は簡明で分かりやすく、入門者が途絶えることはなかった。また、聞聞、聞不聞、不聞聞、不聞不聞の4つの教化法を教えた。
|