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しかし防波堤内は避難船で輻輳し、すぐ前方には無動力のイタリア船籍の修繕船アーネスト号(7,341総トン)<ref>9月21日出渠し、右舷錨鎖約12mの繰り出しでブイに係留。その後、風圧で25mまで繰り出されていたが、蒸気なく巻き込み不能。9月26日16時頃、右舷錨鎖が約12mの位置で切れたため、左舷錨投錨し100m繰り出した。その後右舷錨鎖に錨をつなぎ、南西風強くなった18時45分、右舷錨投錨。左舷200m、右舷100mまで繰り出したが、走錨し、21時頃停止した。:『洞爺丸海難誌』p57 国鉄青函船舶鉄道管理局1965</ref><ref>1954年5月、メキシコから石炭を積んで室蘭へ来航したが、濃霧のため室蘭港外で座礁し、石炭陸揚げ後、[[函館どつく|函館ドック]]で船底応急修理。港内のブイに係留され、船主は廃船を決め売却待ちであった。:坂本幸四郎『青函連絡船』p132 朝日イブニングニュース社1983</ref>が停泊しており、その後急速に強まった風で、18時45分頃からアーネスト号の錨ごと流される走錨が始まり、大雪丸自身の走錨もあり、防波堤外への脱出を決定した。19時16分抜錨開始したが<ref name="50nenshi181">『青函連絡船50年史』p181 国鉄青函船舶鉄道管理局1957</ref><ref name="koso287-288"/><ref name="kainanshi67"/>、抜錨中さらに圧流され、有川桟橋沖に錨泊中の[[北見丸#日高丸|日高丸]]に接近してしまい<ref name="tatakai14-15"/>、全速前進で右転したところ、強い南西風に切れ上がって曲がり切れず<ref>洞爺丸型のような2軸1枚舵の船では、船速の4倍弱以上の風を真横から受けると、風下に回頭できなかった。この現象を“風に切れ上がる”といった:古川達郎『連絡船ドック』p34 船舶技術協会1966</ref>、船首が錨泊中の[[第五青函丸#第六青函丸|第六青函丸]]の左舷中央部に向いてしまった。急ぎ後進左転したが19時20分、大雪丸右舷錨が[[第五青函丸#第六青函丸|第六青函丸]]の左舷中央部ハンドレールに接触した<ref name="tatakai18">『台風との斗い』p18 特定非営利活動法人語りつぐ青函連絡船の会2011</ref>。しかし、この後進で船首を右に向けることができ、全速前進で第六青函丸の船尾側をかわし、港口に進み、19時31分、55mを超える暴風雨で防波堤灯台は消灯し視界が利かないまま、レーダーに頼って防波堤外へ脱出することができた<ref name="50nenshi181"/><ref name="tatakai14-15"/>。
 
19時40分、防波堤外で錨泊中の洞爺丸の南方、西防波堤灯台246度0.9海里地点に左舷錨投錨して錨泊した。しかし、船首がうまく風上を向かず、風浪を右舷から受け、激しい横揺れが続き、車両甲板に打ち込む海水もボイラー室前方まで達し、走錨も激しく、この危機をから脱するため直ちに抜錨を開始した<ref name="50nenshi181"/>。しかし10分間で一気に1,800mも流され、19時50分には、北防波堤基礎工事ケーソンに370mまで接近してしまったが、抜錨中の錨の効果と風に切り上がる効果で前進力が得られ、19時58分には錨を垂らしたまま前進全速とし、危機を脱した<ref name="50nenshi182">『青函連絡船50年史』p182 国鉄青函船舶鉄道管理局1957</ref><ref name="koso287-288"/><ref>『洞爺丸台風海難誌』p68 国鉄青函船舶鉄道管理局1965</ref><ref name="tatakai14-15"/>。この頃から機械室では海水が夕立のように降り注ぐようになった<ref>『復刻・台風との斗い』p56 p59 特定非営利活動法人語りつぐ青函連絡船の会2011</ref>。前進し始めて程ない20時07分、主機械が停止してしまい、このままでは西防波堤に衝突するところ、1分ほどで復旧できた<ref name="koso287-288"/><ref name="tatakai14-15"/>。抜錨完了後、20時30分には、当時 洞爺丸の南西に錨泊中であった[[北見丸]]の方向に船首が向いてしまうこともあったが<ref name="tatakai14-15"/>、その後針路を南西にとり、「南西の風は涌元へ行け」との経験則に従い、南西風の避難に適した涌元を目指した。21時10分には、葛登支岬灯台に並航し、風速40m、この時のプロペラ回転数は毎分150回転、しかし対地速力わずか2ノット弱で、通常150回転では、12ノット程度は出る回転数であったが<ref>『青函連絡船栄光の航跡』p110 北海道旅客鉄道株式会社1988</ref>、猛烈な向かい風でほとんど前進できず、その場に留まる蜘躊踟蹰航法(ちちゅうこうほう)となっていた。このため、これより前の21時04分、「21時00分現在葛登支岬灯台より40度2.8海里の地点で蜘躊踟蹰中」と函館桟橋宛て打電していた<ref name="tatakai14-15"/>。
 
21時40分には、車両甲板船尾両舷の係船索を巻き込む[[:en:Capstan (nautical)|キャプスタン]]の回転軸と、流体接手調整ハンドルの車両甲板貫通部から操舵機室への浸水があり、操舵不能となって、以後両舷機を種々使用して針路維持に努めた<ref name="50nenshi182"/><ref name="koso287-288"/><ref name="tatakai14-15"/>。さらに22時00分には、機関室排気口鉄フタ間隙からの浸水で、潤滑油ポンプ1台が故障し、残り1台も断線し、主機械停止してしまったが約5分で復旧できた<ref name="koso287-288"/><ref name="tatakai14-15"/>。22時35分、風速は30m程度におさまり、風向も西南西に変わり、日付が変わった9月27日 0時10分、涌元北方の木古内湾知内沖に達し投錨した。沈没は免れたが航行不能となっていた<ref name="50nenshi182"/><ref name="koso287-288"/><ref name="tatakai14-15"/>。