「モーラミャイン」の版間の差分

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[[ファイル:ShampooIsland.jpg|thumb|left|モーラミャイン近郊のガウンセー島]]
 
[[アンダマン海]]のモッタマ湾([[マルタバン湾]])に近い。タンルウィン川([[サルウィン川]])沿岸にあり、対岸の[[モッタマ]](マルダバン)へは[[フェリー]]が運航している。[[2006年]]には両都市を結ぶ[[タンルウィン・ブリッジ|タンルウィン橋]]が開通した。対岸のモッタマから[[ヤンゴン]]へ[[鉄道]]・[[道路]]が通じており、モーラミャインからは[[マレー半島]]を下る鉄道・道路が延びている。[[モン人]]地域における最大の都市であり、[[モーラミャイン大学]]では多くの学生が学んでいる。イギリスの文学者[[ジョージ・オーウェル]]は、一時英領インド帝国の警察官を務めており、モーラミャインが赴任先であった。この地での植民地支配に対する彼の葛藤は、エッセイ「象を撃つ」に示されている。
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==歴史==
[[File:Moulmein-and-river.jpg|thumb|left|1900年代初頭、モーラミャインとサルウィン川河口]]
[[1826年]]、[[:en:First Anglo-Burmese War|第一次英麺戦争]]の結果[[イギリス]]と[[コンバウン朝]]の間に[[:en:Treaty of Yandabo|ヤンダボ条約]]が結ばれた。これに従い、コンバウン朝は[[タニンダーリ地方域]]と[[ラカイン州]]をイギリスに割譲した。割譲領域は[[イギリス統治下のビルマ|英領ルマ]]となり、モーラミャインはその最初の首都になった。
<ref name=EB>{{Citeweb|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/394523/Moulmein|title=Moulmein|publisher=''[[Encyclopædia Britannica]] online''|accessdate=2009-02-03}}</ref>
 
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1908年には横浜の[[海洋サルベージ|沈没船引き揚げ]]業者・松本島吉によりアヴァ号が引き揚げられた<ref>[http://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/DTRP0320?SHIRYO_ID=2235 潜水請負業 松本島吉]『開港五十年紀念横浜成功名誉鑑』森田忠吉, 横浜商况新報社, 1910, p749</ref>。
 
== 脚注 ==