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前後して、[[1978年]]にジョブズらがApple IIを打ち破る次世代パーソナルコンピュータの概念を練り上げるための[[ブレインストーミング]]が始まり、[[1979年]]の秋に2000ドル台のビジネス向けを念頭においた[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]]プロジェクトが立ち上げられた<ref>Lisaの名前は、ジョブズが当時付き合っていた女性との非嫡出子の名前からとったとされているが、ジョブズ本人はその娘の名前からとったことは認めていない。</ref>。この頃、ジョブズは[[ゼロックス]]にAppleの株式と交換に[[パロアルト研究所]]の見学を申し出る。ゼロックスの役員は特に意識していなかったのだが、現場の開発者からは「ジョブズが来るということは盗用されてもおかしくない」という不満の声もあった。しかし、結果的に見学の申し出は受け入れられ、1979年の11月と12月の2回に渡り見学が行われた。先進的な[[Smalltalk]]で動く[[GUI]]を持ち、[[ビットマップ画像|ビットマップ]]ディスプレイと[[マウス (コンピュータ)|マウス]]で操作される[[Alto]]のデモにインスピレーションを得たジョブズは、Lisaにアルトと同じ機能を持たせることを意図し、設計に過剰に介入をし始めた。ジョブズがLisaプロジェクトを混乱させている原因と考えた社長のスコットは、1980年の秋にジョブズに株式公開のための仕事を割り当てて、Lisaプロジェクトのメンバーからジョブズを外した。
 
=== Macintoshの成功発表・ジョブズの追放 ===
[[ファイル:Macintosh 128k transparency.png|thumb|200px|1984年に発売された初代[[Macintosh 128K|Macintosh]]。ジョブズが「シンプル」を追求した末に完成させた。]]
一方で1979年にAppleに入社した[[ジェフ・ラスキン]]は、Apple IIが一般の人々には複雑すぎると考えていた。マイク・マークラはラスキンに500ドル台のゲーム機(コードネーム:アニー)の担当を打診したが、彼は500ドル台のパーソナルコンピュータの開発を提案し許可される。彼は[[カリフォルニア大学サンディエゴ校]]での教え子であった[[ビル・アトキンソン]]を雇い入れ、またApple IIのメンテナンス担当だったビュレル・スミスなど数人で1979年にMacintosh(マッキントッシュ) プロジェクトを開始する。Macintoshは北米ではポピュラーな小型の[[リンゴ]]の品種名(ただしリンゴの綴りはMcIntosh、和名は「旭」)である。