削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
9行目:
| 死没 = [[明和]]3年[[12月16日 (旧暦)|12月16日]]([[1767年]][[1月5日]])
| 改名 =
| 別名 = [[仮名 (通称)|通称]]:甲斐
| 諡号 =
| 神号 =
23行目:
| 兄弟 = [[浅野忠綏|忠綏]]、'''忠正'''
| 妻 =
| 子 = 藤堂信任室、養子: '''''[[浅野忠愛|忠愛]]'''''
| 特記事項 =
}}
 
'''浅野 忠正'''(あさの ただまさ)は、[[江戸時代]]中期の[[安芸国]][[広島藩]]の[[家老]]。三原浅野家第7代。
 
== 略歴 ==
[[享保]]6年(1721年)2月17日、三原浅野家第4代[[浅野忠義|忠義]]の七男として生まれる。[[宝暦]]9年([[1759年]])兄[[浅野忠綏|忠綏]]の長男で三原浅野家を継いでいた[[浅野忠晨|忠晨]]が病により隠居し、子が弟もまだ幼いため、叔父の忠正が家督を相続した。
 
宝暦9年(1759年)1212([[1760年]])、幕府[[巡見使]]を三原で出迎える。宝暦13年([[1763年]])藩主[[浅野重晟|重晟]]の藩主襲封の謝恩使として[[江戸]]に下向し将軍[[徳川家治|家治]]に拝謁し太刀などを献上した。
 
明和3年(1767年)1212月16日([[1767年]])、死去享年47。菩提寺の妙正寺に葬られた。家督は兄忠綏の三男[[浅野忠愛|忠愛]]が相続した。忠正の娘は伊勢[[津藩]]士藤堂信任に嫁ぎ、その次男[[浅野忠敬|忠敬]]が三原浅野家第10代となる。
 
== 参考文献 ==
* 御調郡誌教育会編{{国立国会図書館デジタルコレクション|1020099|御調郡誌|format=EXTERNAL}}
 
{{浅野氏歴代当主|長忠流三原浅野||第8代}}
{{Japanese-history-stub}}
 
{{浅野氏歴代当主|長忠流浅野氏||第8代}}
{{DEFAULTSORT:あさの たたまさ}}
[[Category:広島藩士]]
[[Category:三原浅野|たたまさ]]
[[Category:三原市の歴史]]
[[Category:1721年生]]
[[Category:1767年没]]
{{Japanese-history-stub}}