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パブロ・ネルーダの筆名について
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[[Image:Jan neruda.jpg|thumb|right|ヤン・ネルダ]]
'''ヤン・ネルダ'''(Jan Nepomuk Neruda, [[1834年]][[7月9日]] - [[1891年]][[8月22日]])は、チェコの[[ジャーナリスト]]であり、19世紀のチェコを代表する[[作家]]、[[評論家]]、[[詩人]]。
 
プラハ庶民の生活を、[[フェイエトン]]などの[[文学手法]]を用いて描写した。短篇や[[旅行記]]の手法は、後に世界的に活躍した[[カレル・チャペック]]らにも影響を与えた。
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ヤン・ネルダは、[[プラハ]]のマラー・ストラナ(小地区)と呼ばれる地区に食料品屋の子として生まれた。[[哲学]]と[[文献学]]を学んだ後、[[1860年]]まで教師として働き、またフリーのジャーナリスト、作家でもあった。結婚はしなかったが、作家であるカロリナ・スヴェトラと非常に親しい関係にあった。
 
19世紀は、チェコの民族運動が育っていった時代であるが、ネルダもその誕生に貢献した。常に同時代の文化・政治的な議論の中心にあり、批評家としての名声を得た。ネルダの代表作は、プラハ,特にマラーストラナの市民と生活を描いた "Povídky malostranské" (フェイエトン ヤン・ネルダ短篇集)である。これは[[2003年]]に[[竹田裕子]]によって日本語にも訳された。ネルダが[[1891年]]に死去すると、同書にも登場する Ostruhová 通りはネルドヴァ通りと名付けられた。チリのノーベル文学賞作家の[[パブロ・ネルーダ]]の筆名の由来ともなった。
 
==著作の日本語訳==