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'''比田井天来'''(ひだい てんらい、[[1872年]][[3月2日]]([[明治]]5年[[1月23日 (旧暦)|1月23日]]) - [[1939年]][[1月4日]])は、[[日本]]の[[書道家]]。「[[父親#○○の父|現代書道の父]]」と呼ばれる。本名・'''鴻'''。雅号は天来、別号画沙(かくさ)、大朴(たいぼく)、象之(ぞうし)、淳風(じゅんぷう)も用いる<ref name=A>[[林淳]]『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』収録「比田井天来石碑一覧表」([[勝山城博物館]] 2017年)</ref>
 
== 人物 ==
[[長野県]][[北佐久郡]][[協和村 (長野県)|片倉村]](現・[[佐久市]])出身生まれ。幼名は常太郎。古碑法帖を多角的に[[研究]]し、古典[[臨書]]の新分野を開拓し、その集大成として『学書筌蹄』がある。俯仰法の解明をし、剛毛筆を使用して古典を分解再構築し、新しい造形世界を展開したその活動は、近代日本の[[書道界]]において新境地であったとされる。
 
== 略歴 ==
*1872年 長野県北佐久郡協和村片倉に生まれる。幼名、常太郎。
*[[1887年]] 協和小学校を卒業。
*[[1892年]] [[上京]]。小石川[[東洋大学|哲学館]]で[[漢学]]を学び、[[日下部鳴鶴]]に師事。
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天来自然公園には、天来や妻・小琴、子息・南谷をはじめとして、その他門下生の作品の碑が立ち並んでいる。
 
石碑も多くを手がけ、現在全国に35基程を確認できる<ref>[[林淳]]『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』収録「比田井天来石碑一覧表」([[勝山城博物館]] 2017年)< name=A/ref>。
[[ファイル:黒木御所跡(揮毫:比田井天来).jpg|サムネイル|隠岐諸島の西ノ島にある黒木御所跡(後醍醐天皇配流の地と伝承)の碑。揮毫は比田井天来。]]
 
== ==
<references />
== 参考文献 ==
* [[宝月圭吾]]編 『長野県風土記』 [[旺文社]]、1986年
*『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年
 
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
* {{東京文化財研究所}}
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{{Normdaten}}
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{{DEFAULTSORT:ひたい てんらい}}
[[Category:日本の能書家]]