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Bsx-ja (会話 | 投稿記録)
m 第25回参議院議員通常選挙選挙日確定に伴う処理 using AWB
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{{Future election|2019|7|2821}}
{{政治家
|人名 = 山口 那津男
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|国旗2 = 日本
|職名2 = [[衆議院議員]]
|選挙区2 = [[東京都第10区_ (中選挙区)|旧東京10区]]
|当選回数2 = 2回
|就任日2 = [[1990年]][[2月19日]]
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=== 衆議院議員 ===
[[神崎武法]]の誘いで[[1990年]]2月、[[第39回衆議院議員総選挙]]に[[東京都第10区_ (中選挙区)|旧東京10区]]から[[公明党]]公認で出馬し、初当選。[[1993年]]8月の[[第40回衆議院議員総選挙]]でも旧東京10区で再選。総選挙後に発足した[[細川内閣]]では[[防衛省|防衛]][[政務次官]]に任命された。
 
[[1994年]]12月、公明党解党に伴い公明新党を経て[[新進党]]結党に参加。党「[[明日の内閣]]」安全保障副担当、党[[幹事長|副幹事長]]などを歴任する<ref>{{Cite news |url=http://www.jiji.com/jc/giin?d=bee01aa49de0a9ddfd6ea2a541dc052a&c=san&rel=ja |title=国会議員 山口 那津男(やまぐち なつお) |newspaper=時事ドットコム |publisher=時事通信社 |accessdate=2017-05-29}}</ref>。[[1996年]]10月の[[第41回衆議院議員総選挙]]では、[[東京都第17区|東京17区]]から新進党公認で出馬したが、[[自由民主党 (日本)|自民党]]公認の新人[[平沢勝栄]]に敗れ、落選した。その後[[1998年]]1月の新進党分党により、新党平和を経て公明党再結成に参加。[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]では再度平沢に敗北し落選した。
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[[2005年]]、[[一級建築士]]らによる[[マンション]]の[[耐震強度偽装問題]]を事前に知っていたのではないかとされる疑惑が報じられた。
 
[[読売新聞]]によれば、2005年11月、[[国土交通省]]がマンションなどの耐震強度偽装問題を公表する以前に、山口が同省の担当者に対し、「民間の確認検査機関の建築確認に問題があり、耐震強度が不足したマンションがあると聞いた」と話し、開発会社[[ヒューザー]]社長の[[小嶋進]]から事情を聞くよう求め、同省担当者に仲介を依頼している<ref name="ReferenceA">読売新聞:2005年11月30日付{{要ページ番号|date=2017年5月}}</ref>。この仲介の結果、[[11月9日]]、小嶋は同省建築指導課の課長補佐と面会していた。
 
国交省は取材に対し、山口の紹介で建築指導課の課長補佐が小嶋と会ったことを認めている<ref>読売新聞:2005年11月30日付{{要ページ番号|date name=2017年5月}}<"ReferenceA"/ref>。それによると、小嶋は11月9日、役員らとともに同課を訪れ、「建築確認は国の仕事であり、建築基準法に合わないマンションができたのは国の責任だ」などといったことを話し、国側を激しく批判したほか、[[11月15日]]にも元[[国土庁]]長官[[伊藤公介]]と面会をしていた。また、小嶋は自らの[[証人喚問]]の前に、山口の紹介で建築指導課の課長補佐と面会した事実と暴露していたが、証人喚問では小嶋は証言拒否を繰り返し、野党議員も[[内閣官房長官]]安倍晋三や小嶋との関係、公明党[[大田区]]議会議員と小嶋との関係などに追及の時間を費やしたため、山口と小嶋の関係が取り上げられることはなかった。{{main|小嶋進#証人喚問}}
 
== 集団的自衛権 ==
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{{公明党}}
 
{{Japan-politician-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:やまくち なつお}}
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[[Category:1952年生]]
[[Category:存命人物]]
 
 
{{Japan-politician-stub}}