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'''フランス
[[1968年]]以来[[パリ]]のウィルソン大統領通り22番地の「アジア館(フランス語:Maison de l'Asie)」に本部を置き、アジア各地に研究センターや支所を配置、人類学・考古学・建築学・歴史学・美術史・言語学・哲学・碑文研究など東洋学専門家約40名が所属する。
== 歴史 ==
[[1898年]][[仏領インドシナ]]総督ポール・ドゥメールの提唱に拠って[[サイゴン]]に設立されたインドシナ考古調査団を前身とし、[[1900年]]フランス極東
学院本部は[[1968年]]以来パリに所在しており、[[1955年]]以降[[インド]]の[[ポンディシェリ]]に永続的なセンターを設置して、{{仮リンク|アリカメドゥ|en|Arikamedu}}遺跡調査などインド学研究の任務を担っている。[[インドネシア]]の首都[[ジャカルタ]]には[[1950年]]以来永続的なセンターが機能しており、考古学や宗教碑文研究者が配置されている。[[1975年]]には[[タイ王国]]北部の[[チェンマイ]]にも仏教経典研究センターが開かれた。
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