「聖ヘレナ」の版間の差分

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{{Infobox 聖人
|名前=聖ヘレナ(エレナ)皇后<br>Sancta Helena
|画像=Brosen icon constantine helena.jpg
|画像サイズ=220px
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}}
{{基礎情報 君主の正配
|人名= ヘレナ
|各国語表記= Sancta Helena
|画像=Elena Colosseo Rome Italy.jpg
|画像サイズ=
|画像説明=
|在位=
|全名=
|正配称号= ローマ皇后<small>(ただし追認)</small>
|別称号=[[アウグストゥス (称号)|アウグスタ]]
|配偶者1= [[コンスタンティウス・クロルス]]
|子女= [[コンスタンティヌス1世]]
|宗教= [[キリスト教]]
|家名=
|宗教= カトリック教会
}}
 
'''聖ヘレナ'''(Helena、[[246年|246]]/[[250年|50年]] - [[330年]][[8月18日]])は、古代[[ローマ帝国]]の皇后([[アウグストゥス (称号)|アウグスタ]])、[[コンスタンティヌス1世]]の母。キリスト教会の聖人。
 
==概略==
[[File:Helena of Constantinople (Cima da Conegliano).jpg|thumb|upright|チーマ・ダ・コネリアーノ作の聖ヘレナ]]
生まれた場所に諸説あり、[[メソポタミア]]のカパル・パカルとも[[エデッサ]]とも[[ビテュニア]]ともいわれる。身分は低く、セルビアの[[ナイッスス]]にあった旅館、または酒場で働いていたところを捕虜として[[コンスタンティウス・クロルス]]の手に陥る。コンスタンティウスの妾(正妻ともいう)となり、[[274年]]にはコンスタンティヌスを生む。[[293年]]にコンスタンティウスが[[マクシミアヌス]]帝の娘[[フラウィア・マクシミアナ・テオドラ]]と結婚するために政略的に離婚させられる。再婚することもなく、あいまいな立場であったが、[[306年]]にコンスタンティウス1世が死にヘレナの息子が副帝に任命されたことにより彼女の皇后としての地位が追認された。[[313年]]頃にキリスト教に改宗。その後は私財を投じて巡礼・慈善・教会建立の仕事をしてキリスト教のためにつくした。[[325年]]、[[アウグストゥス (称号)|アウグスタ]]の称号を受けた。330年に死去。彼女んだ後にビテュニアのドレパヌムという街はヘレノポリスと名づけられた。
 
==伝説・逸話==