「松平義生」の版間の差分

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| 主君 = [[明治天皇]]→[[大正天皇]]
| 藩 = [[美濃国|美濃]][[高須藩]]主
| 氏族 = [[小出氏]]→[[高須松平家]]
| 父母 = 父:[[小出英教]]、養父:''[[松平義勇]]''
| 兄弟 = [[小出英尚]]、'''義生'''
| 妻 = 正室先妻:[[徳川慶勝]]の三女・'''道姫'''<br />継室後妻:徳川慶勝の養女([[常陸府中藩|府中藩]]主・[[松平頼縄]]の娘)・'''安子'''
| 子 = '''[[松平義為|義為]]'''
| 特記事項 =
}}
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== 生涯 ==
[[丹波国|丹波]][[園部藩]]主・[[小出英教]]の次男。第13代高須藩主・[[松平義勇]]の養子となる。正室先妻は[[尾張藩]]主で義勇の実兄でもある[[徳川慶勝]]の三女・道姫。継室後妻は徳川慶勝の養女([[常陸府中藩|府中藩]]主・[[松平頼縄]]の娘)・安子。子は[[松平義為|義為]](よしため、長男)、孫に[[松平義明|義明]](よしあき)がいる。初名は'''小出英周'''(こいで ふさちか)。
 
[[明治]]2年([[1869年]])6月26日、松平義勇の養子となる。同年7月27日、義勇の隠居により家督を相続する。それにともない、高須[[知藩事|藩知事]]に就任する。明治3年([[1870年]])12月24日、高須藩と尾張藩と合併させた。それにともない、藩知事でなくは免職となった。明治8年([[1875年]])11月、徳川慶勝の養女・安子と再婚する。明治10年([[1877年]])7月、三等中警部心得となる。同年11月、一等少警部となる。明治11年([[1878年]])4月、権中警部となる。明治12年([[1879年]])4月、退職する。明治14年([[1881年]])5月、宮中祗候となる。同年9月、退職する。明治17年([[1884年]])7月8日、[[子爵]]となる。明治35年([[1902年]])には[[駒野城]]跡を城山村(現・[[岐阜県]][[海津市]])に小学校用地として寄付した。大正9年([[1920年]])に死去。享年66。
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| title = 子爵
| years = ([[高須藩|高須]])[[尾張徳川家|高須松平家]]初代<br />1884年 - 1920年
| before = 叙爵
| after = [[松平義為]]
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{{尾張徳川家|[[尾張徳川家]]御連枝 四谷松平家14代当主|}}
{{高須藩主|尾張松平|14代|1869年 - 1870年}}
{{Japanese-history-stub}}
 
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[[Category:高須藩主]]
[[Category:幕末の大名]]
[[Category:尾張連枝高須松平|よしなり]]
[[Category:日本の子爵]]
[[Category:園部小出家]]