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== 来歴 ==
子供の頃はプロ野球選手になりたかったが、10歳離れた兄と一緒にテレビで競馬を観るようになり、自分の小さい体を生かせると思い騎手を目指した<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=31818 中谷雄太騎手(1)『美浦から栗東へ 騎手人生をかけた大勝負』]</ref>。[[競馬学校]]14期生で同期には[[池添謙一]]、[[酒井学 (競馬)|酒井学]]、[[太宰啓介]]、[[白浜雄造]]らがいる。[[1998年]]に美浦・[[高松邦男]]厩舎所属騎手としてデビュー。デビュー当時、目標とする騎手として[[的場均]]の名を挙げている<ref>別冊宝島騎手名鑑98 ISBN 4-7966-9383-1</ref>。
 
見習い騎手期間の3年間で平地25勝・障害1勝の26勝を記録。その後減量がなくなり騎乗数・勝利数が低迷し年間未勝利に終わるシーズンもあり、引退を考えた時期もあったが<ref>[http://column.keibalab.jp/interview/jockey/188/ 競馬LABインタビュー]</ref>、[[加藤征弘]]・[[萩原清]]厩舎などで厩務に従事するようになり、[[2009年]]のダービー馬となった[[ロジユニヴァース]]の調教をつけるなど関係者の信頼を得て、徐々に乗り鞍を増やしている。
 
[[2010年]]6月26日、[[福島競馬場|福島競馬]]2R3歳未勝利戦で16頭中最下位人気のヴィヴィアンに騎乗し3着と健闘し、JRA複勝配当史上最高額の16,110円を記録した<ref>[http://db.netkeiba.com/race/201003020302/ 2010年6月26日 2回福島3日目 サラ系3歳未勝利]</ref><ref>[http://www.jra.go.jp/datafile/haraimodoshi/0708.html 払戻金ランキング(複勝)]</ref>。
 
2010年11月7日には[[アルゼンチン共和国杯]]で、初騎乗のコスモヘレノスで3着と結果を出し、中谷自身初の[[重賞]]での初の入着を果たす。翌[[2011年]]には同馬にて[[天皇賞#天皇賞(春)|天皇賞(春)]]に騎乗。これがデビュー14年目にして初のGI騎乗となった。
 
2013年11月末頃より騎乗馬を増やしたい・関西馬にも乗りたい。』との思いで栗東に拠点を移し[[矢作芳人]]厩舎の馬を中心に徐々に関西での騎乗が中心となり、2015年5月15日付けで美浦から栗東・フリーに所属変更した<ref>{{Cite web|date=|url=http://pr.news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=98237|title=中谷雄太騎手、栗東へ所属変更|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-06-09}}</ref>。以降、騎乗数・勝利数が増え、2016年には自身最多の25勝を挙げた
 
中谷は2017年のインタビューで「矢作厩舎を手伝わせてもらうようになって、これまでこんなに仕事に熱中したことはなかったことに気づきました。とにかく仕事が楽しい」と語り、矢作は中谷について「腕はあるのに乗せてもらえなかったのは、本人に問題があったはず。ただ、環境を変えることで人間も変わることがあると俺は思うから」と語っている<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=36200 【矢作厩舎の厩舎力(2)】師弟対談 矢作調教師×坂井騎手×中谷騎手(後編)『厩舎や騎手が目指す究極の到達点』]</ref>。
 
2018年4月8日、福島5Rで騎乗したルートロアーがゴール手前で転倒したため落馬し、第1・第2頸椎骨折および胸椎骨折の重傷を負った。病院へ搬送される際は意識がなく危険な状態だったが、同行した矢作調教師が必死に声をかけ続け意識を取り戻したという<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=146861 中谷雄太騎手が調教復帰「12月の1週目でのレース復帰を目標に」]</ref>。約8か月のリハビリを経て12月1日に復帰した。
 
== 騎乗成績 ==