「CAインデペンディエンテ」の版間の差分

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2006-07シーズンは熱狂とともに始まった。かつてのスター選手である[[ホルヘ・ブルチャガ]]監督がモンテネグロ、[[ヘルマン・デニス]]、[[オスカル・ウスタリ]]などを率い、タイトル争いが期待された。アペルトゥーラ2006ではホームでの最終節で[[CAヒムナシア・イ・エスグリマ・デ・フフイ]]に敗れるなど不安定なシーズンだったが、アペルトゥーラ2005と同じ4位でシーズンを終えた。2006年には、1928年以来継続してホームスタジアムであったエスタディオ・デ・インデペンディエンテ(通称ラ・ドブレ・ビセラ・デ・セメント)が閉鎖されて新スタジアムの建設が開始されたが、この期間は各地のスタジアムを転々としてホームゲームを開催し、常に残留争いに巻き込まれた<ref name="暗黒時代からの帰還"/>。クラウスーラ2007は最悪のシーズンとなった。開幕からの10試合で勝ち点8しか挙げられず、ホームで格下[[CDゴドイ・クルス・アントニオ・トンバ|CDゴドイ・クルス]]に敗れてブルチャガ監督が辞任した。[[ミゲル・アンヘル・サントロ]]が暫定監督に就任し、サントーロ監督指揮下では無敗(4勝5分)でシーズンを終えたが、最終的には11位となり、勝ち点2差でコパ・リベルタドーレスやコパ・スダメリカーナの出場権獲得を逃した。2008年には[[クラウディオ・ボルギ]]監督が就任し、アペルトゥーラ2008では好スタートを切ったにもかかわらず、3連敗を喫してボルギ監督が辞任した。再びサントーロが暫定監督に就任し、悪夢の2007年から立ち直るために多くの選手が売却された。[[フェデリコ・イグアイン]]、[[レオネル・リオス]]、[[エマヌエル・セントゥリオン]]、[[レアンドロ・デペトリス]]、[[レオネル・ヌニェス]]、[[ダリオ・ガンディン]]などの著名選手が売却されたが、成績は期待されたほどではなかった。コパ・スダメリカーナでは1回戦で敗退し、アペルトゥーラ2008では国際カップ戦の出場権獲得に失敗した。最終的に18位となり、インデペンディエンテの下にも名門クラブ([[CAロサリオ・セントラル]]が19位、[[CAリーベル・プレート]]が20位)が位置した。クラウスーラ2009開幕前には[[エドゥアルド・トゥッシオ]]やパラグアイ人の[[ディエゴ・ガビラン]]と契約した。クラウスーラ2009のシーズン序盤にサントーロ暫定監督が辞任すると、アペルトゥーラ2002を制した際に監督を務めたガジェゴ監督が復帰したが、再び16位に低迷してサポーターの怒りを買った。アペルトゥーラ2009を前にしてシルベーラ、[[カルロス・マテウ]]、[[イグナシオ・ピアッティ]]らを獲得し、その他にも多数の一流選手を獲得したため、再び希望が生まれた。ガジェゴ監督はチームのスリム化に取り組み、スター選手のモンテネグロを含む17人もの選手を放出した。この選手の入れ替えがうまくいき、同年10月の[[エスタディオ・リベルタドーレス・デ・アメリカ]]完成による上昇気流などもあって、アペルトゥーラ2009では勝ち点34を獲得して4位となった。ガジェゴ監督は新たに何人かの重要な契約を交わし、クラウスーラ2010ではシーズン終盤まで首位に立っていた。アルヘンティノス、エストゥディアンテス、ゴドイ・クルスに交わされたが、2シーズン続けて4位となった。同年のコパ・スダメリカーナの出場権を獲得したが、クラブ首脳陣はガジェゴ監督に対して新契約の提示を行わなかった。
 
アペルトゥーラ2010では不振にあえいだ。フリオ・コンパラーダ会長は選手獲得に資金を投じないことを決定し、エスタディオ・リベルタドーレス・デ・アメリカの工事に資金を注いだ。その上、ピアッティ、ガンディン、[[ワルテル・アセベド]]、[[ルシアーノ・ベジャ]]などの主力選手がクラブを離れた。[[セサル・ルイス・メノッティ]]GMと[[ダニエル・ガルネーロ]]監督が解任され、[[アントニオ・モハメド]]監督が登用された。モハメド監督はライバルのラシンを1-0で破り、クラブに新たな見地を与えた。国内リーグでは最下位の20位に終わったが、コパ・スダメリカーナでは各ステージを勝ち進み、決勝で[[ゴイアスEC]](ブラジル)をPK戦の末に破って初優勝した。コンパラーダ会長が退任してハビエル・カンテーロ会長が就任し、カンテーロ会長は、状況に応じて選手の放出を行わなければクラブの命取りになるという、深刻な財政問題を明らかにした。2011年のレコパ・スダメリカーナでは[[SCインテルナシオナル]](ブラジル)に敗れ、同年の[[Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦|スルガ銀行チャンピオンシップ]]では[[Jリーグカップ]](ナビスコカップ)王者の[[ジュビロ磐田]]に敗れた。アントニオ・モハメド監督が去った後はリーベルのレジェンドである[[ラモン・ディアス]]監督が就任し、コパ・スダメリカーナ2011ではラウンド16で[[LDUキト]]と対戦し、結果的に準優勝するクラブ相手に2試合合計1-2で敗れた。
 
2012-13シーズンには前期18位と下位に沈み、加えて2009-10シーズンの"貯金"がなくなったことも響いて前期終了時点で降格圏に転落した。後期こそ12位と多少順位を上げたものの降格圏を脱出するまでには至らず、'''クラブ史上初の降格'''となってしまった。
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|2006-2009||Grupo Márquez
|-
|2009-2011||rowspan=3|[[プーマ]]<ref>[http://www.footballshirtculture.com/sponsorship/independiente-sign-puma-and-powerade-kit-deal.html Independiente sign Puma and Powerade kit deals] Football Shirt Culture.com</ref>||Motomel (バイク) & [[パワーエイド]] (スポーツ飲料)
|-
|2011-2012||Motomel (バイク) & Ibupirac
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** '''プロリーグ時代''' : 13回'''
*** 1939, 1948, 1960, 1963, 1967N, 1970M, 1971M, 1977N, 1978N, 1983M, 1988-89, 1993-94[[アペルトゥーラとクラウスーラ|C]], 2002-03[[アペルトゥーラとクラウスーラ|A]]
 
* '''コパ・イバルグレン : 2回'''
** 1938, 1939
 
* '''コパ・アドリアン・C・エスコバル : 1回'''
** 1939
 
* '''コンクルーソ・ポル・エリミナシオン : 1回'''
** 1914
 
* '''コパ・デ・オノール・ムニシパリダード・デ・ブエノスアイレス : 1回'''
** 1918
 
* '''コパ・コンペテンシア・アソシアシオン・アマテールス : 3回'''
** 1924, 1925, 1926
 
* '''コパ・サン・マルティン・デ・トウルス : 1回'''
** 1963
 
* '''コパDAIA : 1回'''
** 2004
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* '''コパ・アルダオ : 2回'''
** 1938, 1939
 
* '''[[コパ・リベルタドーレス]] : 7回'''
** 1964, 1965, [[コパ・リベルタドーレス1972|1972]], [[コパ・リベルタドーレス1973|1973]], [[コパ・リベルタドーレス1974|1974]], [[コパ・リベルタドーレス1975|1975]], [[コパ・リベルタドーレス1984|1984]]
 
* '''[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]] : 2回'''
** 1973, 1984
 
* '''[[コパ・インテルアメリカーナ]] : 3回'''
** 1973, 1974, 1975
 
* '''[[スーペルコパ・スダメリカーナ]] : 2回'''
** 1994, 1995
 
* '''[[コパ・スダメリカーナ]]:2回'''
** 2010, 2017
* '''[[Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦|スルガ銀行チャンピオンシップ]]:1回'''
 
* '''[[スルガ銀行チャンピオンシップ]]:1回'''
** [[スルガ銀行チャンピオンシップ2018|2018]]
 
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=== リーグ得点王 ===
インデペンディエンテ在籍時に[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|プリメーラ・ディビシオン]]で得点王を獲得した選手の一覧である。のべ15人(5人がアマチュア時代、10人がプロ時代)が得点王を獲得している<ref>[http://www.rsssf.com/tablesa/argtops.html GArgentine First Division Top Scorers] RSSSF</ref><ref>[http://www.el-area.com/sudamerica/subpaginas/argentina.html#golear Historic Statistics from Argentine First Division] El Area.com</ref>。
 
{| class="wikitable sortable" style="text-align:left"
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| 1922 Aam || {{Flagicon|ARG}} [[マヌエル・セオアネ]] || 55点
|-
| 1924 Aam || {{Flagicon|ARG}} [[ルイス・ラバスチーノ]] <ref group="注釈"> [[リカルド・ルカレッリ]](スポルティーボ・ブエノスアイレス)と同点</ref> || 15点
|-
| 1926 Aam || {{Flagicon|ARG}} [[マヌエル・セオアネ]] || 29点
|-
| 1929 AAF || {{Flagicon|ARG}} [[マヌエル・セオアネ]] <ref group="注釈"> [[フアン・バウティスタ・コルテーセ]]([[CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ]])と同点</ref> || 13点
|-
| 1937 || {{Flagicon|PAR}} [[アルセニオ・エリコ]] || 48点
358 ⟶ 345行目:
| 1939 || {{Flagicon|PAR}} [[アルセニオ・エリコ]]||41点
|-
| 1956 || {{Flagicon|ARG}} [[エルネスト・グリージョ]] <ref group="注釈"> [[フアン・カステロ]]([[CAロサリオ・セントラル]])と同点</ref>||17点
|-
| 1966 ||{{Flagicon|ARG}} [[ルイス・アルティメ]]||23点