「カンデー・ラーオ・ホールカル2世」の版間の差分

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従兄弟で当主であるハリ・ラーオ・ホールカルは不健康のため、イギリスに後継者を養子で取るように迫られており、[[1841年]][[7月2日]]にカンデー・ラーオが正式にその養子となり、[[8月30日]]にそれが認められた<ref>[http://www.royalark.net/India/indore4.htm Indore4] </ref>。
 
[[1843年]][[10月24日]]、養父ハリ・ラーオ・ホールカルは死亡し、カンデー・ラーオ・ホールカル2世としてその後を継いだ<ref>[http://www.royalark.net/India/indore4.htm Indore4] </ref>。
 
カンデー・ラーオは義理の祖母である[[クリシュナ・バーイー・ホールカル]]の摂政のもと統治したが、彼は心身ともに虚弱で宰相の[[ラージャ・バーウ・パーンセー]]の実権にあった。