「石原裕次郎」の版間の差分

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* 1974年 - 階段で転倒し左肩打撲(後に左[[鎖骨骨折]]と判明)。
* 1978年 - 舌下[[潰瘍]]のため入院・手術。その後[[悪性腫瘍]]([[舌癌]])との診断を受けたが、石原本人には告知されなかった(1983年再発)。
* 1979年 - [[舌下[[白板症]]と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術し退院。
* 1981年4月 - 『[[西部警察]]』のロケ撮影中、背中と胸に激痛が走り[[慶應義塾大学病院]]に緊急入院。当初[[椎間板ヘルニア]]疑われたが、その後[[大動脈解離|解離性大動脈瘤]]と診断され(後に右耳が[[難聴]]となる)大手術を決行。生還率3%と言われたが、手術後、奇跡的な回復を遂げ無事退院(見舞い客は1万2,000人、手紙5,000通、花束2,000束、千羽鶴1,000束、さらには石原の車のボディーにも励ましのメッセージを書く人もあった)。退院後も首、腰の痛み、[[発熱]]が続いた。
* 1984年 - [[肝癌|肝臓癌]]が発覚し、倦怠感・[[腰痛]]の末、原因不明の発熱にいたる(前の定期健診で[[肝細胞癌]]と診断されるが、裕次郎本人には最期までガン告知せず)。
* 1986年5月 - 高熱が続くため慶應義塾大学病院に入院。[[高血圧治療薬|血圧降下剤]]の副作用による肝内[[胆管炎]]と診断。7月に退院後はハワイで静養。
* 1987年4月20日 - ハワイから急遽帰国、直後に慶應義塾大学病院へ検査入院<ref group="注釈">この時石原を治療したチームの中に、後に[[オウム真理教]]に入信し[[地下鉄サリン事件]]などを引き起こした[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]がいた。</ref>。5月2日に一旦退院した([[カテーテル]]治療)ものの、3日後に再入院、その後容態悪化(高熱)、ついには[[幻覚]]症状([[肝性脳症]])を発する。その後意識不明の状態が続き、7月17日15時43分、一旦医師が臨終を告げ7分後心停止するも、酸素吸入により一度は心拍が再開する。しかし16時26分再度心停止し、死去52歳だった。
 
== エピソード ==