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=== 密庵咸傑 ===
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'''密庵 咸傑'''(みったん かんけつ、1118年 - 1186年)は、中国・[[南宋]]時代の[[禅僧]]。名は咸傑、俗姓は鄭。[[福清市|福清]]の人。[[#応庵曇華|応庵曇華]]の[[法嗣]]。南宋はじめの[[禅林]]の巨匠である。密庵門下の[[#松源崇嶽|松源崇嶽]]・[[#破庵祖先|破庵祖先]]・[[#曹源道生|曹源道生]]の3人を'''密庵下の三傑'''と称し、この法系から多くの墨跡を生んだ。著名な墨跡の筆者は、[[#松源派|松源派]]では中国の[[#古林清茂|古林清茂]]・[[#了庵清欲|了庵清欲]]・[[#虚堂智愚|虚堂智愚]]・[[#蘭渓道隆|蘭渓道隆]]、日本の[[#宗峰妙超|宗峰妙超]]・[[#一休宗純|一休宗純]]、[[#破庵派|破庵派]]では中国の[[無準師範]]・[[#中峰明本|中峰明本]]・[[#無学祖元|無学祖元]]・[[#清拙正澄|清拙正澄]]、日本の[[夢窓疎石]]、[[#曹源派|曹源派]]では中国の[[一山一寧]]、日本の[[雪村友梅]]などがあげられる<ref name="kanda_soudai19"/><ref name="suzukihiro110"/><ref name="fukushima163"/><ref name="nakanishi910">中西慶爾 p.910</ref><ref name="horie768">堀江知彦 768</ref><ref>伊吹敦 p.112</ref>。
 
; {{Visible anchor | 密庵咸傑法語}}
: [[淳熙]]6年(1179年)8月、密庵に随従した璋禅人という人物の求めに応じて、禅の要旨を書き与えた[[#法語|法語]](印可状とも見られる)。27行・290文字を異例ともいうべき[[綾絹]]<ref>綾絹(あやぎぬ)とは、[[綾織り]]の[[絹]]のこと(新村出 p.62)。</ref>の上に[[行書体|行書]]で濃淡自由に書いている。密庵は書法に長じたが、その墨跡は稀でこの法語が唯一とされる。これを秘蔵する[[龍光院 (京都市北区)|龍光院]]には、この墨跡以外は掛けないという「密庵床」と称する[[床の間|床]]が特設され、その茶席を「密庵席」と称している。[[龍光院]]蔵。[[国宝]](指定名称は'''密庵咸傑墨蹟(法語 淳熙己亥仲秋日)''')<ref name="suzukihiro110"/><ref name="fukushima163"/><ref name="nakanishi910"/><ref name="horie768"/>。
 
=== 古林清茂 ===