「ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ」の版間の差分

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有力者のデュブール家から支援を受け、叔母が有力な政治家[[エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール]]公爵の近侍と結婚していて、公爵の支援も受けた。
 
ショワズ公爵の推薦で1772年からパリで[[ガブリエルフランソワ・ドワイアン]]の指導を受けるようになった。ドワイアンのスタジオではユベール・ロベールと出会い、強い影響を受けた。1778年に初めてパリの展覧会に出展した。
 
パトロンの支援されて、1777年から1785年の間はおもにローマに滞在し、シシリーやナポリにも滞在した。1785年にパリに戻り、1787年に[[王立絵画彫刻アカデミー]]の会員に選ばれた。[[サロン・ド・パリ]]にも出展を始め、1805年には金賞を得た。