「火炎瓶」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2014年9月}}
[[File:Molotovin cocktail.jpg|thumb|200px|[[冬戦争]]で[[フィンランド]]が使用した火炎瓶]]
'''火炎瓶'''(かえんびん、'''火焔瓶'''とも表記)は、[[瓶]](主に[[ガラス]]製)に[[ガソリン]]・[[灯油]]などの可燃性の液体を充填した、簡易な[[焼夷弾]]の一種である。原始的な[[爆弾]]の一種とも言われる。[[冬戦争]]における故事から、「'''モロトフ・カクテル'''(Molotov Cocktail)」とも呼ばれる。中身によって'''威力・殺傷性が大きく異なる'''
 
== 概要 ==
原始的な[[爆弾]]の一種とも言われるが、[[炎上]]はしても[[爆発]]はしない。そのため現在の[[日本法|日本の法律]]では爆弾とはみなされず、「'''火炎びん'''」という独自の[[カテゴリ]]になっている。
'''中身がガソリンの場合'''は燃焼というよりも爆発の規模だが、日本では戦後の日本共産党が武装闘争していた時代に最高裁判所に「[[炎上]]はしても[[爆発]]ではない」と1956年に日本の[[爆発物取締罰則]]の対象とは見なさないと判例を残した。そのために[[渋谷暴動事件]]など警察署襲撃事件、[[東峰十字路事件]]や[[芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件]]など成田空港関連施設や警察官居宅への放火テロ事件、[[国電同時多発ゲリラ事件]]学生運動・新左翼が火炎放射器とともにテロやデモに多数利用した。しかし、[[あさま山荘事件]]で無関心と擁護が占めていた学生運動・新左翼に対する強い批判が日本国内に巻き起こり、世論の支持を受けて、1972年以降に新法で「'''火炎びん'''」という独自の[[カテゴリ]]で規制対象になっている<ref>「左翼大辞典」p23,高山直人</ref>。
 
== 構造 ==
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[[Image:Molotov bread basket.jpg|right|thumb|「{{仮リンク|モロトフのパン籠|en|Molotov bread basket}}」ことソ連製RRAB-3集束爆弾]]
同年末の[[冬戦争]]の際にも[[フィンランド国防軍|フィンランド軍]]が対戦車兵器として使用した。当時のソ連外相[[ヴャチェスラフ・モロトフ|モロトフ]]は、[[国際連盟]]でソ連の[[絨毯爆撃|無差別爆撃]]について追及された際に「[[資本主義]]に搾取されるフィンランド人民のために[[赤軍|ソ連軍]]は[[パン]]を投下している」と強弁したことがあった。このため、ソ連軍のRRAB-3収束焼夷弾が「モロトフのパン籠」と揶揄された。そして、火炎瓶は「パン籠」に対するフィンランド人民からのお礼の[[カクテル]]の意味で「モロトフ・カクテル」と名づけられ、以降火炎瓶の代名詞となった<ref>{{Cite web |author= |date= |url= https://www.nytimes.com/1986/11/20/opinion/l-how-the-molotov-cocktail-got-its-name-085186.html|title=How the Molotov Cocktail Got Its Name |website=NYTimes.com |publisher= |accessdate=2018-10-22}}</ref>。
 
<br />
 
[[File:Kaenbin.jpg|thumb|[[成田国際空港|新東京国際空港]]の[[成田空港問題|反対運動]]([[三里塚闘争]])でも火炎瓶は用いられた([[成田空港 空と大地の歴史館]])]]
[[戦後]]の[[日本]]においては、[[1950年代]]に[[日本共産党]]が組織した[[山村工作隊]]や[[中核自衛隊]]による[[武装闘争]]で多用され、[[爆発物取締罰則]]違反でもっての公判が行われたが、[[1956年]](昭和31年)[[6月27日]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]][[判決 (日本法)|判決]]において「同法の規制対象となる『爆発物』とは、その爆発作用そのものによって公共の安全を攪乱し、または、人の身体や財産を傷害・損壊するに足る破壊力を有するものであり、……(火焔瓶は)'''いわゆる爆発物に該当しない'''」として、[[最高検察庁]]の主張を退けた<ref>{{Cite 判例検索システム
| 事件名 = 爆発物取締罰則違反
| 法廷名 = [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]大法廷
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}}</ref>。[[刑法 (日本)|刑法]]は国が人を罰するという性質上、慎重な解釈が求められるため[[罪刑法定主義]]にもとづき、類推解釈が禁じられているからである。
 
その後、[[1971年]]([[昭和]]46年)[[11月19日]]、[[沖縄返還協定]]反対[[デモ活動|デモ]]が[[日比谷公園]]内で激化し、その中で[[過激派]]の学生の投じた火炎瓶が[[松本楼]]を直撃し、2代目の建物を焼失させるなど、[[1970年代]]の[[学生運動]]や[[三里塚闘争]]でよく使われたが、当時の[[日本法|法律]]では火炎瓶自体については規制することができなかった。そのため、火炎瓶を「ガラスびんその他の容器にガソリン、灯油その他引火しやすい物質を入れ、その物質が流出し、又は飛散した場合にこれを燃焼させるための発火装置又は点火装置を施した物で、人の生命、身体又は財産に害を加えるのに使用されるもの」と定義して規制する「[[火炎びんの使用等の処罰に関する法律]]」を制定し、[[1972年]](昭和47年)[[5月14日]]施行した。
 
そのため、火炎瓶を「ガラスびんその他の容器にガソリン、灯油その他引火しやすい物質を入れ、その物質が流出し、又は飛散した場合にこれを燃焼させるための発火装置又は点火装置を施した物で、人の生命、身体又は財産に害を加えるのに使用されるもの」と定義して規制する「[[火炎びんの使用等の処罰に関する法律]]」を制定し、[[1972年]](昭和47年)[[5月14日]]施行した。
 
比較的作成が容易で、さらに昨今では[[インターネット]]の[[検索エンジン]]によって、簡単に作り方を調べることができるようになり、[[未成年者]]が興味本位で作成し、悪戯に使用する[[事件]]も起きた<ref>