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=== 現役時代から保存まで ===
[[File:Japanese-national-railways-C61-20-20090709.jpg|thumb|240px|right|伊勢崎市で静態保存されていたC61 20]]
C61 20は、[[戦時設計|戦時形]]のためそのまま使い続けるにしても何らかの改修が必要であった[[国鉄D51形蒸気機関車|D51 1094]]の[[ボイラー]]を流用し、[[1949年]]([[昭和]]24年)8月1日に[[三菱重工業]]三原製作所にて[[製造番号]] 659として落成した。8月30日、青森機関区<ref group="注">[[青森駅]]構内に所在する、[[日本貨物鉄道|JR貨物]]青森機関区の前身。[[青森車両センター]]も参照。</ref>に新製配置された。のちに仙台機関区<ref group="注">[[仙台車両センター]]の前身
廃車当時は[[SLブーム]]であったこともあり、当機は国鉄から無償譲渡され、[[群馬県]][[伊勢崎市]]の[[華蔵寺公園#華蔵寺公園遊園地|華蔵寺公園遊園地]]で[[静態保存]]されることとなった。1973年12月18日に鹿児島鉄道管理局の出水機関区([[出水駅]])を出発し、12月27日に[[高崎操車場]]へと到着。伊勢崎の地にやってきたのは年明けの[[1974年]]1月17日、その後当地で組立作業が行われ、静態保存機として展示が開始されたのは3月に入ってからのことである。
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当機が保存されている[[群馬県]]では、[[1988年]]11月に[[国鉄D51形蒸気機関車498号機|D51 498]]が[[動態保存|動態]][[復元]]され、[[上越線]]「[[SLぐんま みなかみ|SL奥利根号]]」(のちの現在運行されている「[[SLぐんま みなかみ]]」)などとして運転が開始された。同機は[[国鉄分割民営化]]によって誕生したJR東日本のスターとして、復活当時より東日本管内各地での[[イベント]]運行のために転々とするが、年々、各地の自治体からによるSL運行の要望が多々あり、D51 498だけでは要望を満たしきれない状況が続いていた。このため、[[1998年]]に[[真岡鐵道]]が動態復元した[[国鉄C11形蒸気機関車#C11 325|C11 325]]を借り入れ、[[2001年]]より[[只見線]]「[[SL会津只見号]]」などとして[[ローカル線]]でのSLイベント出張運行に使用し、各地でのSL運行の要望に応えるようにした。しかし、C11 325は小型の[[タンク機関車]]であり、自治体からの運行機関車の要望に応えられないこともあった。なお、[[1999年]]にJR東日本が2機目のSLとして復活させた[[国鉄C57形蒸気機関車180号機|C57 180]]は、基本的に「[[SLばんえつ物語|SLばんえつ物語号]]」専用であり、特別な場合を除き[[東日本旅客鉄道新潟支社|新潟支社]]および[[東日本旅客鉄道仙台支社|仙台支社]]([[磐越西線]]内に限る)管轄外でのイベント運転には起用されなかった。また、東日本管内のイベント運行のうち、数回は[[秩父鉄道]]「[[パレオエクスプレス]]」として活躍する[[国鉄C58形蒸気機関車#C58 363|C58 363]]も登場したが、[[自動列車停止装置|ATS]]の関係などにより[[2001年]]からは秩父鉄道線内のみの運行になっている。
[[2008年]](平成20年)12月、「SL湯けむり号」として運行を控えていたD51 498が、[[小牛田運輸区]]での火入れの際に機関助士のミスによって空焚き事故を起こしてしまう
2009年6月、JR東日本は当機が復元できる可能性を秘めているとして、近く復元する方針を固めたとの報道がなされた。この時点ではJR東日本からの直接的な動態復元についての告知はなく、各報道機関への声明発表のみとされていた。そして12月、JR東日本より12月度記者会見ならびにホームページ上にて、当機の動態復元についての正式な発表が行われた<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2009/20091207.pdf 定例社長会見 C61形蒸気機関車の復元について
動態復元の正式発表後、華蔵寺公園遊園地では、公園を離れることを記念し、12月下旬より運転室内の特別公開が行われた。また、当機の復元を祝う看板を用意した他、報道当時の新聞を諸元説明の隣に掲示するなど、復活への意気込みをアピールした。最終的な展示は年明けの[[2010年]]1月11日まで行われ、その後は復元準備のために当機の周囲への立ち入りを禁止する処置が施された。1月19日、3台の[[牽引自動車|トレーラー]]によって[[炭水車]]、ボイラー、主[[台枠]]および走り装置の3つに分けられた。翌20日未明より搬送され、同日の明け方までに復元工事が行われる[[大宮総合車両センター]]へ到着、21日に復元工事着工式が執り行われ、本格的な解体作業が開始された。この復元に際しては、映画「[[男はつらいよ]]」などで知られる[[山田洋次]]監督から、このC61 20の復元にまつわる作業などをドキュメンタリー映像として記録したいとの申し出があり、復元の流れに沿って映像を撮影している<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110612.pdf|title=SL「C61 20」復元工程のドキュメンタリー作品のテレビ放映について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2011-07-20}}{{Cite web|date=|url=http://www.nhk.or.jp/special/onair/110716.html|title=NHKスペシャル|復活 〜山田洋次・SLを撮る〜|publisher=日本放送協会|accessdate=2011-07-20}}</ref>。ボイラーは3月から11月までの間、[[サッパボイラ]]にて修復を実施、また動輪・車輪は[[住友金属工業]]にて整備・新造が行われた。ボイラーは保存状況がやや粗雑だったこともあり、全体の4割が腐食していたが、煙管・加熱管をすべて交換することはもちろん、蒸気ドーム自体の修繕も念入りに行われた。また、他の部品でも使用できなくなったものも点在し、新たに新規製造する部品も多かったことから、これらがのちの復元作業の進行に影響を及ぼすこととなった。
2010年12月10日には帰ってきたボイラーと整備が終わった主台枠との取り付け作業が行われた。明けて[[2011年]](平成23年)1月27日[[大安]]に、当機の火入れ式が同センター内にて行われ、これをもって[[1973年]]に火を落として以来、38年ぶりに当機のボイラーに火が再び入れられた<ref>[http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2011/01/c61.html RAIL MAGAZINE 編集長敬白 ついにC61 20が火入れ。]</ref>。本来はこの時点ですべてが組み立てられ、火入れ後そのまま昇圧を行う予定ではあったが、腐食部位が予想以上に多かったことから整備が間に合わず、この時の当機は前日までに組み立てを行い車体塗装を施工、動輪を繋ぐ連結棒などのない、いわゆる仮組立の状態で火入れ式に臨み、挙行後は自然消火された。また、火入れ式に間に合わせるべく急ピッチで組み立て作業を行っていたため、当機の前面[[鉄道の車両番号|ナンバープレート]]は所定より40mm下に取り付けられていたり、テンダーのナンバープレートも若干右下がりとなっていたりしたが、営業開始後に前面ナンバープレートは位置修正が行われた。遅れて2月16日に本格的な火入れを行い、ボイラーの昇圧試験が実施され、汽笛の吹鳴試験もあわせて行われた。ここで煙突から煙を上げ[[警笛|汽笛]]を鳴らす当機の復活を迎えた。2月21日より、同センター内の工場試運転線にて構内試運転が実施された。この際、初日の21日と最終日24日は「[[はつかり (列車)#東京 - 青森 - 北海道間連絡輸送列車としてのはつかり|はつかり]]」のヘッドマークを掲げ<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/02/jrc61_20_1.html RMニュース【JR東】C61 20 構内試運転 〔JR東日本〕][http://railf.jp/news/2011/02/22/151500.html C61 20が構内試運転]</ref>、続けて23日には2009年暮れにD51 498が[[上越線]]で[[試運転]]を行った際に掲げられた「[[東北本線優等列車沿革#特急「はつかり」、寝台特急「はくつる」・「ゆうづる」の設定・発展|ゆうづる]]」調デザインの「C61復活記念 試運転」の[[ヘッドマーク]]を掲出して試運転を行っている<ref>『Rail Magazine』332号
復元工事開始前からの歩みは、所有する高崎支社のホームページにも掲載され、「[http://www.jreast.co.jp/takasaki/sl/c6120/index.html 蒸気機関車 C6120 復元への道]」と題して紹介されている。新聞報道などでは分からなかった当機の復元過程を、事細かに写真で見ることができる。
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=== 本線試運転から営業運転開始へ ===
[[File:C61 20 minakami.jpg|thumb|240px|水上駅を出発するC61 20「快速SL C61 復活号」(2011年6月5日撮影)]]
高崎車両センターに到着した当機は、4月8日に同センターに在籍するD51 498と顔を合わせて社内公開された。その後は「D51ばんえつ物語」の準備によりD51 498の試運転が優先され、当機の本線試運転は4月21日より開始された。しかし、試運転初日にして折り返し地点である[[水上駅]]で[[故障]]が発生、止むを得ず[[蒸気]]を解放させて火を消し、[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51]] 842に[[救援列車|救援]]させて高崎車両センターへ回送されることになった。この影響で翌日に予定された旧型客車の牽引は、DD51 888による牽引に振り替えられた。4月25日に故障から復帰し、この日同センター内に到着してから初めての報道公開を行った。翌26日より[[本線]]試運転が再開され、27日には延期されていた旧型客車を牽引しての試運転が実施された。なお、この際に山田洋次監督が機関車を使った撮影を行っており、随所に[[映画用カメラ|カメラ]]を設置した(撮影は往路のみで、水上駅で機材の取り外し作業を実施)。営業運転開始に先立ち、5月5日に水上駅で、5月7日にも高崎車両センターにてそれぞれ展示会を実施した。時間によって「はやぶさ」と「はつかり」のヘッドマークを掲出した。なお、水上駅での展示会には、「SLみなかみ」の時刻で回送運転が行われ、この際にバックアップ用としてDD51 842を連結、さらに伴車客車として旧型客車4両も連結された
復元作業の遅れや東日本大震災のため、当初予定されていた同年の[[ゴールデンウィーク]]以降の運行開始に代わり、復活に際しての最大の目標とされた「群馬[[デスティネーションキャンペーン]]」での運行開始に間に合わせるべく、その後も[[高崎駅|高崎]] - 水上間で本線試運転が幾度か行われた。そして、[[6月4日]]、東日本大震災からの[[復興]]を願う[[スローガン]]「がんばろう日本!」と書かれた、「はやぶさ」のヘッドマークデザインをモチーフにしたヘッドマークを掲げて、旧型客車による6両編成、472席が満席となった、9時56分高崎発水上行き「'''快速SL C61 復活号'''」を牽引し、これをもって復活営業運転を開始した
=== 営業運転開始とその後 ===
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[[File:JNR C61 20 and C58 363 20110925 001.jpg|thumb|240px|秩父鉄道のC58 363と旧型客車を従えて運転された「SL重連レトロみなかみ号」(2011年9月25日撮影)]]
*[[ファイル:Sl gunma minakami c6120.jpg|サムネイル|現在の基本運用である、「快速SLぐんまみなかみ」]]2011年(平成23年)6月の土・日曜:上越線(高崎 - 水上間)「'''SL C61 復活号'''」<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110515.pdf 蒸気機関車「C61 20」復活運転について
: 旧型客車6両を牽引、期間後半は[[ヘッドマーク]]を装着せずに運転。
: 同機にとって復活後、初の営業運転となった。
* 2011年(平成23年)7月2日:上越線(高崎 - 水上間)「'''SLググっとぐんまみなかみ号'''」<ref
: 群馬デスティネーションキャンペーンをオープニングを飾る列車で、[[新津運輸区]]所属の[[国鉄C57形蒸気機関車180号機|C57 180]]との[[重連運転]]。[[SLばんえつ物語|ばんえつ物語]]の12系客車6両を牽引した。
: 高崎駅から上越線と[[信越本線]]が併走する区間では、[[国鉄D51形蒸気機関車498号機|D51 498]]が牽引する「'''SLググっとぐんま碓氷号'''」との同時出発ならびに併走運転を行った。
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: ヘッドマークは「'''SL重連みなかみ物語'''」と同じデザインが考案されていたが、装着はされなかった。
: 25日の運転では、[[イギリス]]から来訪した2人のヨーク国立鉄道博物館関係者を招き、機関士服を纏って当機に特別乗務した。
* 2011年(平成23年)11月3日:[[両毛線]]・上越線([[伊勢崎駅|伊勢崎]] → 高崎間)「'''SLいせさき号'''」
: これは当機が保存されていた[[華蔵寺公園#華蔵寺公園遊園地|華蔵寺公園遊園地]]がある[[伊勢崎市]]への里帰り・凱旋運転となる。
: 往路の高崎 → 伊勢崎間は[[国鉄EF65形電気機関車|EF65 501]]牽引の「'''ELいせさき号'''」として運転。当機は最後尾に連結された。客車は旧型客車4両を使用。
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==== 高崎支社管轄外での出張運転 ====
[[File:Japanese National Railways Steam Locomotive Class C61 (C61 20) runnning as memorial train of the 100th anniversary of Uchibo line.JPG|thumb|240px|力行する「快速SL内房100周年記念号」(2012年2月10日撮影)]]
* 2011年(平成23年)11月19・20日:[[東北本線]]([[一ノ関駅|一関]] → [[北上駅|北上]]間)「'''SLがんばろう岩手号'''」
: [[2012年]]4月から6月に開催を控えている「'''いわてデスティネーションキャンペーン'''」のプレイベントとして、[[平泉]]の世界遺産登録記念と[[東日本大震災]]からの復興に向けてエールを送る意味合いで運転された。
: この列車が当機にとって復活後初の高崎支社管轄外での出張運転となった。
: 復路の北上 → 一ノ関間は[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]]牽引の「'''DLがんばろう岩手号'''」として運転。当機はDE10の重連の次位・逆向きに連結された。
: 旧型客車5両を牽引。
* 2012年(平成24年)2月10 - 12日:[[京葉線]]・[[内房線]]([[千葉みなと駅|千葉みなと]] → [[木更津駅|木更津]]間)「'''SL内房100周年記念号'''」
: [[2012年]]3月に内房線([[蘇我駅|蘇我]] - [[姉ケ崎駅|姉ケ崎]]間)が開業100周年を迎えるにあたり、その記念イベントとして運転された。
: 往路の木更津 → 千葉みなと間はDE10形牽引の「'''DL内房100周年記念号'''」として運転。当機は最後尾に連結。
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* 2014年(平成26年)10月18・19日:奥羽本線([[秋田駅|秋田]] - [[東能代駅|東能代]]間)「'''SLあきた路号'''」
: 旧型客車6両を牽引
: 第29回国民文化祭・あきた2014およびアフター秋田DC開催記念の目玉イベントとして運転<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20140718-1.pdf アフター秋田DC期間に「SLあきた路号」を運転します!] - 東日本旅客鉄道秋田支社 2014年7月18日}}</ref>。
: 上記の2012年での運行に続いて同区間2回目の走行となる。
* 2014年(平成26年)12月5 - 7日:[[水郡線]]([[水戸駅|水戸]] → [[常陸大子駅|常陸大子]]間)「'''SL奥久慈清流ライン号'''」
: 12系客車4両を牽引
: 同線の全通80周年を記念して運行
: 当機の非電化区間での運行はこれが初めてとなった。
: 往路の常陸大子 → 水戸間はDE10形牽引の「'''DL奥久慈清流ライン号'''」として運転。当機は最後尾に連結。
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: 「SLばんえつ物語」シリーズにおいては、当機復活後初めての牽引機抜擢となる。
: なお、この内5月30日は豊実 - 徳沢間における線路点検の影響で往路運転中4時間、津川駅および豊実駅にて運転見合わせとなり、復路は会津若松駅を19時過ぎに発車、行き先を新津駅に変更し23時過ぎに到着の夜行列車となった。
* 2018年(平成30年)10月13・14日:奥羽本線(秋田 - [[湯沢駅|湯沢]]間)「'''SLこまち号'''」<ref>[https://railf.jp/news/2018/10/14/190000.html “SLこまち号”運転] - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2018年10月14日</ref>
:旧型客車6両を牽引
:編成後部には[[秋田車両センター]]所属のDE10形が連結され、13日はDE10 1647、14日はDE10 1759が使用された。
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{{Sound|C6120.kiteki.1.ogg|C61 20の汽笛の音(弱めに鳴らした場合)}}
{{Sound|C6120.kiteki.2.ogg|C61 20の汽笛の音(強めに鳴らした場合)}}
当機の外観で一番大きく変化が見られた炭水車には、D51 498などと同様に機関車の火室内に重油をバーナーで噴射して火力を高める重油併燃装置が取付けられたため、炭水車後部に[[重油]][[燃料タンク|タンク]]の取り付けが行われた。現役時代、当機には一度も重油タンクが載せられなかったことから、初めての実装となる。また、炭水車自体の水容量の確保の面から、D51 498やC57 180のように甲板内側に収まりきらず、甲板からやや上に突き出た形となった。この[[カモフラージュ]]も兼ねて、炭水車前部にはD51 498と同じく増炭板を設置して対応した。当機の外観は、[[1966年]]に青森機関区に戻ってきた頃の姿をベースとし、前照灯はD51 498やC57 180と若干異なり、大型のLP403形と小型のLP42形の中間の大きさを持つ、旧型電車で使用されていた'''LP402E形'''に交換され、前面側左手には[[シールドビーム]]式の副灯LP405形を追加、そして[[スノープラウ]]の常備化という、いわゆる'''東北形重装備'''を模した復元がなされている。ただし、[[閉塞 (鉄道)#タブレット|タブレットキャッチャー]]装備のために後方下側に移された両サイドのナンバープレートはオリジナルの位置に戻されている。なお、副灯は通常の場合、主灯との切り替えスイッチの作動によって点灯させるが、当機の場合は別[[回路]]としたため主灯との同時点灯が可能である。副灯の外枠は現役時代は青森機関区所属時代の晩年は黒色であったが、配置当初はC62 3と同様に銀色に塗られていたため、配置当初の姿に合わせた。新規製造としたスノープラウの常備化についてはD51 498同様、新たに設置された[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P形]]の車上子・機器類の保護とカモフラージュ(目隠し)の目的を兼ねたもので、現役時代に使用されたものと比較するとやや大きめである<ref group="注">静態保存時に取り付けられていたスノープラウは仕様的に使うことはできなかった。</ref>。スノープラウ後部に取り付けられている[[ステップ]](踏み板)は、静態保存時の部品を整備・再使用しており、このため「仙C6120」の刻印が現在も残されている。そのため、東北形のスノープラウは通常ステップと一体型となっているが、当機はこの配慮の関係でステップを別とし、スノープラウの角度も浅くされている。[[タービン発電機]]はATS-P装置の電源を確保するため、D51 498と同様に大形の発電機を2基搭載する姿に変わった。ただし、万が一両方ともに故障で使えなくなった場合を考慮し、高崎車両センターを出区し「SLみなかみ」の行程を終えるまでの約8時間(折り返しの際の休憩時間を除く)は運行できるように蓄電池も装備されている。前照灯を除き、標識灯・運転室内灯は[[発光ダイオード|LED]]方式に変更し、発電機への負荷を軽減している。炭水車後部連結部には、動輪の車軸の軸受の潤滑油量の影響での焼損などのトラブル防止のために軸受の潤滑油の温度を測定する油温センサーが取付けられており軸受の油温データを伝送し牽引する客車でその温度状況を管理・監視するためのジャンパ栓(KE100)が追加された。D51 498やC57 180にも同様の油温センサーとジャンパ栓が装備されている。冬季の旧型客車牽引を想定して、[[蒸気暖房 (鉄道)|蒸気暖房]]用の蒸気管も復元整備が行われ、使用が可能になっている。復活当初1年間は[[蒸気機関車の構成要素|煙室]]扉の[[ハンドル]]は現役時代同様に黒色に染めており、国内に現存する煙室扉の黒塗りハンドルの姿を持つ本線用復元大形機としては、C62 3に続き2例目となっており、またあわせて空気[[圧縮機]]などにも[[真鍮]]の飾り帯を設置せず、あくまでも現役時代の姿を可能な限りまで再現させていた。しかし復活後初めての中間検査A施工後の2012年6月、最初の営業運行となった「'''SL C61復活記念号'''」からは、煙室扉のハンドルやシリンダー排気口および点検蓋の磨き出しが行われ金色に(煙室扉ハンドルについては水上駅転車台広場に静態保存されているD51 745から流用)、また同時に空気圧縮機に真鍮の金帯が設置され、このためC57 180やD51 498と同様の復活蒸機の基本スタイルに変更された。ただし、営業運行開始直前の同5月に試運転を行った際、ランボードに白線を入れた特急機仕様になり、「'''あさかぜ'''」を模した試運転ヘッドマークを掲出するという特別な演出が行われている<ref group="注">この時点ではまだ煙室扉のハンドルは黒色のままである。</ref>。
運転室内の復元後の姿としては、[[自動給炭機]](メカニカルストーカー)が撤去され、焚き口の位置を下げたうえで、付近の運転室床も平坦にされた。これは今回の復元に際し、現在使用されている[[石炭]]の[[品質]]が良く[[熱量]]が高く、現役時代に比べて余裕のある運転のためストーカーが必須となる程の投炭量ではないこと、重油併燃を行うこと、積車ブレーキ率による制動距離を確保するための軽量化、D51 498と同等の運行技術を継承する目的、およびストーカー機器類による投炭作業性悪化の懸念、そしてストーカーそのものの腐食が激しかったため復元が極めて困難だったこと、など様々な要因が考慮されたためである。これにより、当機は現役時代のC61形とは異なる運転台環境となり、滑り止めが施されることになっている床板も、オリジナルの網目板から現在[[調達]]できる[[縞鋼板]]となった
[[駆動輪|動輪]]のタイヤ、先輪、従輪、[[炭水車]]輪のすべてが新たに製造されている。当機の特徴である振替えられた第二先輪([[#当機の第二先輪|後述]])は、第一先輪と同じプレート輪心形に交換されることになり、見栄えの整備も行われた。外観は従前と同じプレート輪心であるが、その実は現在の[[鉄道車両]]と同様の[[一体圧延車輪]]であり、考証に沿った見栄えとするため、輪心には、先輪4箇所、従輪3箇所、炭水車輪2箇所の丸穴が開けられている。
ボイラーの最高使用圧力は、腐食の著しかったボイラーが新品に近い形で修繕され、所定の15kg/[[平方センチメートル|cm<sup>2</sup>]] (1470kpa) で使用されている(D51 498は14kg/[[平方センチメートル|cm<sup>2</sup>]] (1370kpa) )。最高運転速度は、本機のブレーキ力(積車ブレーキ率)が、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」第69条で定められる50/100に満たなかったため、本来の100km/hで運転することはできず、75km/hまでに制限した。試運転の結果では75km/hでの非常制動距離が500m以内であり、[[600m条項|規定の600m]]を十分にクリアしている。なお、東日本管内での運転限界最高速度は「SLばんえつ物語」の65km/hとしており、同列車を担当するC57 180が運行する際のダイヤを用いての運転が可能であるが、加速性が若干乏しい影響で1分から2分程度の誤差が生じる(理由は後述)。2011年8月2日に行われた信越本線(高崎 → 横川間)における試運転では、磯部 → 横川間における25[[パーミル|‰]]の急勾配区間で空転が多発し、停止寸前まで速度が落ちた。本来、横川 → 高崎間への回送を牽引する最後尾のDD51形はぶら下がりの無動力扱いのはずであったが、この事態によりディーゼル動力を使い当機の後補機となって勾配を登った。これにより、以後急勾配区間では必ず後補機を必要とすることとなった。この事態の背景には、ストーカー設置に伴って設計されていた従輪2軸配置による軸重軽減が、先述したとおりストーカー装置を撤去したため、車軸にかかる重量負担2.8t分緩和したことによって動輪粘着力低下を助長し、空転を起こしやすい状態になったものと考えられている<ref>[[交友社]]「[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]」2014年6月号P29
== 当機の第二先輪 ==
今回の動態復元により当機の第二先輪はプレート形に交換され、特徴的な2つの異なる先輪を持つ当機としての復元はなされないが、それ以前までは第二先輪は、[[国鉄C59形蒸気機関車|C59]][[戦前]]形と同様の丸穴ウエップ<ref group="注">水掻き付きとも呼ばれる、放射状の補強[[リブ]]の間に軽め穴を持つ輪心形状。</ref>付のものとなっていた。当機が仙台機関区在籍時代の1963年ごろに、僚機のC61 15が深い[[焼きつき|軸焼け]]を起こし、折しも[[郡山総合車両センター|郡山工場]]に入場中だった当機の第二先輪と交換することでC61 15の運用復帰を果たした。第二先輪を失った当機については、廃車となった[[国鉄C59形蒸気機関車|C59形]]から流用することとなり、この先輪を用いて郡山工場を出場したとされる。さらに[[1969年]]の[[秋田総合車両センター|土崎工場]]での全般検査では、先に廃車となった[[国鉄C60形蒸気機関車|C60 9]](元C59 46)が装着していた第二先輪と交換され、二度にわたって振り替えが行われていることが明らかとなっている<ref>[http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/02/6.html RAIL MAGAZINE 編集長敬白 C61 20 先輪振り替えの謎。]</ref>。この度の動態復元で交換されるまでの間、静態保存時を含め、長い期間、C60 9から流用された丸穴ウェップ付き先輪を装備していた。なお、動態復元の際に交換された先輪は、大宮総合車両センター内で保存されている。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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