「七日市藩」の版間の差分

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== 藩史 ==
七日市藩の[[藩祖]]は、[[加賀藩]]祖[[前田利家]]の5男の[[前田利孝|利孝]]である。利孝は利家の死後、異母兄の[[前田利長|利長]]が[[徳川家康]]と[[本多正信]]の主従の画策で「幻の家康暗殺事件」の疑惑をかけられた際、利長の生母の[[芳春院]](まつ)と共に人質として[[江戸]]で幼年期を過ごした。[[大坂の陣]]で利孝は徳川方として参戦して武功を挙げたことから、[[元和 (日本)|元和]]2年([[1616年]])12月26日、七日市に1万石(寛文4年の調査では12036石、貞享元年の調査では13135石)の所領を与えた。これが七日市藩の立藩である。小藩であったため、また[[天保の大飢饉]]などの天災も相次いだため、本家である加賀藩の財政的援助を受けてようやく存続するというような状況であった。歴代藩主の多くは[[駿府城]]・[[大坂城]]の守備役を務めている。
 
第11代藩主・[[前田利豁|利豁]]の代である[[天保]]13年([[1842年]])、[[藩校]]・[[成器館]]が創設された。しかしこの頃には七日市藩邸が焼失するなど、治世は多難を極めた。
 
[[慶応]]4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]では新政府側に与し、[[会津藩]]の討伐に参加した。翌年の[[版籍奉還]]で最後の[[藩主]]の[[前田利昭|利昭]]は[[知藩事|藩知事]]となる。利昭は成器館を文武学校と改称し、さらに軍務局をはじめとする藩政改革を行なった。[[明治]]4年([[1871年]])の[[廃藩置県]]で七日市藩は廃藩となる。その後、[[岩鼻県]]を経て、群馬県に編入された。
 
== 歴代藩主 ==
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[[Category:藩]]
[[Category:上野国||なぬかいち]]
[[Category:富岡市の歴史]]
[[Category:七日市前田家|藩]]