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[[畠山氏]]の家督争いをめぐる大和国の諸士にも大きな影響を与える事になる。この争いに筒井順永は[[畠山政久|畠山弥三郎]]に与していたが、[[康正]]元年([[1455年]])7月2日に畠山義就軍は筒井城を攻城し、[[成身院光宣]]、筒井順永兄弟は防戦したが緒戦で敗北した。
しかし、筒井城そのものは
その後、[[管領]]細川勝元の仲介によって畠山義就、越智伊予守連合軍と和睦し、[[長禄]]3年([[1459年]])6月1日に光宣、順永兄弟と[[箸尾宗信]]は帰城することになり、筒井城にいた越智伊予守軍は城を去って行った。{{-}}
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