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[[秋田県]][[雄勝郡]]秋ノ宮村(後の[[雄勝町 (秋田県)|雄勝町]]、現:[[湯沢市]][[秋ノ宮]])中央部旧国道沿いに家があった[[農家]]に長男として生まれる<ref>[http://archive.fo/Yut1Z 官房長官に菅氏(湯沢市出身)就任 第2次安倍内閣] 秋田魁新報 2012年12月26日{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。家族は父、母、姉2人、弟1人。父・[[菅和三郎]]は、[[南満州鉄道|満鉄]]職員として当時[[満州国]]の首都だった[[通化市]]で[[日本の降伏]]を迎えた。引き揚げ後、郷里秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任し、[[2010年]]に93歳で死去した。母や叔父、叔母は元教員であり、2人の姉も[[高校教諭]]となった<ref>「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」写真週刊誌『[[フライデー (雑誌)|フライデー]]』2015年1月30日号</ref><ref name="PRESIDENT 2014年4月14日号">[[塩田潮]][http://president.jp/articles/-/12601 「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」]PRESIDENT 2014年4月14日号 </ref><ref>(ジャーナリスト)[[山崎柊]]「菅義偉官房長官「政権の黒幕」研究」文藝春秋2013年7月号</ref><ref>[http://archive.fo/3Iu3E 菅和三郎氏死去 菅義偉元総務相の父] 47NEWS 2010年6月28日</ref><ref name="SAPIO 2015年10月号">[http://www.news-postseven.com/archives/20150920_349255.html 菅義偉氏 北海道教育大受験の事実はなく逃げるように上京] P1、SAPIO 2015年10月号</ref>。
 
雄勝町立秋ノ宮小学校(現:[[湯沢市立雄勝小学校]])卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現:[[湯沢市立雄勝中学校]])に進学する。中学卒業後は、自宅から最も近い[[秋田県立湯沢高等学校]]に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属した。後に、[[フライデー (雑誌)|フライデー]]から「特に目立った成績ではなく、姉が進学した[[北海道教育大学]]を受験したが不合格となった」と報道されたが、[[森功]]の取材では菅本人は当時教員にだけはなりたくないと考えており、北海道教育大の受験はしていないと述べている。父から[[農業者研修教育施設#道府県農業大学校|農業大学校]]への進学を勧められたが断り、高校卒業後、[[集団就職]]で上京する。「[[東京]]へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京したが、秋田時代と変わらぬ日々を[[板橋区]]の[[段ボール]][[工場]]で過ごし、現実の厳しさを痛感する。上京から2年後、当時[[私立大学]]の中で一番学費が安かったという理由で、最初二部法学部、のち転部試験に合格して、[[法政大学]]第一部[[法学部]]第一部[[政治学部|政治学科]]へ進学する<ref>[[田崎史郎]]『安倍官邸の正体』(講談社現代新書)P168 同書に「法政大学夜間部卒という噂があるが、これは間違いだ」との記述がある。また、[[松田賢弥]]「影の権力者 内閣官房長官菅義偉」(講談社+α文庫)p97にも、菅本人の発言として、昼(1部)に入学し卒業したと紹介している。</ref><ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20150920_349255.html?PAGE=2 菅義偉氏 北海道教育大受験の事実はなく逃げるように上京] P2、SAPIO 2015年10月号</ref>。[[1973年]]、法政大学法学部を卒業し、建電設備株式会社(現:株式会社[[ケーネス]])に入社した。
 
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