「ショウ・ブラザーズ」の版間の差分

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*[[周星馳|チャウ・シンチー]](周星馳)・・・大げさなまでのパロディとコメディ映画を何本も作成。
 
== 帝国の落日と映画製作の再開 ==
ショウ・ブラザースを離れた[[レイモンド・チョウ]](鄒文懐/Raymond Chow)は、[[ゴールデン・ハーベスト]]を設立し、古巣を激しく追い上げる。とくにゴールデン・ハーベストと契約した[[ブルース・リー]]、[[ジャッキー・チェン]]の爆発的ヒットに対し、[[1982年]]に公開された『[[ブレードランナー]]』<ref>[https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2014_01_07/chuugoku/ 香港のメディア王の邵逸夫氏が死去 106歳]</ref>など様々な海外の映画に出資して国際化を試みるもかつての勢いを失ったショウ・ブラザーズは低迷を続けた。一方、この頃にはテレビの影響も無視できなくなり、ランラン・ショウは、自身が経営するテレビ局である[[無綫電視]]に、次第に経営の軸足を移して行く事となる。
 
1985年にはラミー・ショウが死去、撮影所も活動を停止し、香港映画界の黄金時代を築いた帝国も、ついに終焉を迎えることになった。多くの作品が日本では紹介されないままだったが、1999年に香港のCelestial Picturesが760本もの作品の権利を買いつけたため、膨大なライブラリーが公開されることになった。日本ではこれをうけ、2004年から[[キングレコード]]より「ショウ・ブラザース 黄金のシネマシリーズ」としてDVDがリリースされた。
 
2016年に[[中華人民共和国|中国]]本土のメディア王で中国共産党幹部<ref name=tmt>{{Cite web|url=http://www.cnfol.hk/news/ganggujujiao/20170210/24272474.shtml|title=华人文化黎瑞刚的传奇经历 |accessdate=2019-07-25|work=中金在线香港|date=2017-02-10}}</ref>である{{仮リンク|黎瑞剛|zh|黎瑞剛}}が株式の30%を保有する筆頭株主となって会長([[董事長|董事局主席]])に就任して映画製作を再開させた<ref>{{cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDX28H0G_Y6A021C1FFE000/|title=香港ショウブラザーズ、映画製作を再開 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2016-10-28 |accessdate=2019-07-25}}</ref>。
多くの作品が日本では紹介されないままだったが、1999年香港のCelestial Picturesが760本もの作品の権利を買いつけたため、膨大なライブラリーが公開されることになった。日本ではこれをうけ、2004年から[[キングレコード]]より「ショウ・ブラザース 黄金のシネマシリーズ」としてDVDがリリースされている。
 
== 巣立ったスターたち ==