「ワシントン・アーヴィング」の版間の差分

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アーヴィングの最初の著書は、『世界の始まりからオランダ王朝の終焉までのニューヨークの歴史、ディートリヒ・ニッカーボッカー著 ''A History of New-York from the Beginning of the World to the End of the Dutch Dynasty, by Dietrich Knickerbocker''』(1809年12月発表)である。これはニュー・アムステルダムの古いオランダ市民の生活をユーモラスに描写した(あるいは、自惚れにまみれた地方史を対象にした陰険な)[[風刺|諷刺文]]で、この作品によって[[ニッカーボッカー]]という言葉が辞書に載るようになり、英語でより広く使われるようになった。
 
アーヴィングは1815年から1822年にわたってヨーロッパを旅し、その際にアボットフォードに[[ウォルター・スコット]]を訪問、滞在紀行記を著した。1820年、彼はアメリカに取材した作品『スリーピー・ホローの伝説』と『リップ・ヴァン・ウィンクル』を含む、イングランドの生活を描写した文集『[[スケッチ・ブック (アーヴィング)|スケッチ・ブック]]』を刊行した。ヨーロッパ滞在中、彼はアメリカのイギリス使節団のメンバーであったが、ひまな時に彼は大陸部へ旅行に出かけ、[[オランダ]]や[[ドイツ]]の民間伝承を幅広く読んだ。『スケッチ・ブック』に収録されている物語はヨーロッパでアーヴィングが書き、ニューヨークにある出版社へ送られて、アメリカの雑誌に掲載された。一方イギリスでは、彼の短編が彼に無断でイギリスの出版社によって製本されてしまった。そのため彼は、ヨーロッパとアメリカで同時に出版することで[[著作権]]を保護することにした。
 
『リップ・ヴァン・ウィンクル』は、彼が妹のサラとその夫ヘンリー・ヴァン・ウォルト<!-- 読みOK? -->([[:en:Henry van Wart|Henry van Wart]])と共に[[イングランド]]・[[バーミンガム]]に滞在していた時に、一晩で書き上げられた。この場所は彼に他にもいくつかの作品の着想を与えた。『ブレイスブリッジ・ホール ''Bracebridge Hall''』または『ユーモリスト:寄せ集め ''The Humorists, A Medley''』は、この地にある[[アストン・ホール]]([[w:Aston Hall|Aston Hall]])という建物が基になっている。