「レオポルド3世 (ベルギー王)」の版間の差分

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[[5月27日]]、レオポルド3世はドイツとの交渉を開始し<ref name="kimizuka2014-227"/>、翌[[5月28日]]にレオポルド3世は降伏を宣言する。以後{{仮リンク|ラーケン宮殿|en|Royal Palace of Laeken}}に幽閉された<ref>[[#松尾 2014|松尾 2014]].p 112-113</ref>。幽閉中の[[1941年]]、[[リリアン・バエル]]と再婚するが、彼女が平民であったため王妃とは認められることは無く、王位継承権も有しない([[貴賤結婚]])<ref name="matsuo2014-114">[[#松尾 2014|松尾 2014]].p 114</ref>。しかし、後にこの結婚をヒトラーに祝福されたことが、強く批判される<ref name="matsuo2014-123">[[#松尾 2014|松尾 2014]].p 123</ref>。
 
一方の閣僚達はフランス、さらに[[ロンドン]]へ亡命し、レオポルド3世を{{仮リンク|第4次ピエギー亡命政府ロ内閣|en|Belgian government in exile|label=ベルギー亡命政府}}の国王とは認めないと宣言した<ref name="matsuo2014-112"/>。チャーチル英首相や英国世論は、レオポルド3世の降伏を裏切りとして非難した<ref name="kimizuka2014-227"/>。しかし、ジョージ6世は、電撃戦で攻撃を受け亡命政権を樹立した[[オランダ王国]]、[[ルクセンブルク大公国]]がともに女性君主<ref group="注釈">[[ウィルヘルミナ (オランダ女王)|ウィルヘルミナ女王]]及び[[シャルロット (ルクセンブルク大公)|シャルロット女大公]]</ref>で軍の最高指揮官でなかったのに対し、レオポルド3世が最高指揮官として兵士や国民を見捨てて亡命できない事情を理解し、[[ガーター勲章]]を含む栄典を剥奪しなかった<ref>[[#君塚 2014|君塚 2014]].p 228</ref>。
 
レオポルド3世はあくまで「中立」の意向であり、占領下のベルギーでナチスドイツの傀儡として国を統治することも拒否していた<ref name="matsuo2014-114"/>。