「修正主義」の版間の差分

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[[イタリア]]では[[フランス]]の[[ジョルジュ・ソレル]]や[[:fr:Hubert Lagardelle|ユベール・ラガルデル]]の[[:it:Sindacalismo rivoluzionario|革命的サンディカリズム]]に影響を受けた[[:it:Arturo Labriola|アルトゥーロ・ラブリオーラ]]や[[:it:Enrico Leone|エンリコ・レオーネ]]らによってベルンシュタインら[[右翼|右派]]修正主義と対照的に革命的な暴力と階級闘争を重視する一方で[[プロレタリア国際主義]]や[[唯物論]]を修正した[[:it:Revisionismo del marxismo#In Italia|左派修正主義]]と呼ばれる運動が[[イタリア社会党]]で台頭し<ref>Zeev Sternhell: ''The Birth of Fascist Ideology: From Cultural Rebellion'', 2001, pp.92</ref><ref>[[大杉栄]]『ベルグソンとソレル』</ref><ref>Enrico Leone, La revisione del marxismo , Roma, Biblioteca del Divenire sociale, 1909</ref>、これは結果的に[[ファシズム]]を創始する[[ベニート・ムッソリーニ]]に影響を与えた<ref>Marco Piraino e Stefano Fiorito "L'identità fascista" (Lulu, 2008); Domenico Settembrini "Fascismo controrivoluzione imperfetta" (SEAM, 2001), Ernst Nolte, "Il giovane Mussolini. Marx e Nietzsche in Mussolini socialista", Sugarco 1997.</ref>。
 
[[正統派マルクス主義]]や[[マルクス・レーニン主義]]、[[共産主義]]者の間においては[[侮蔑|蔑称]]として、[[レッテル]]貼りの言葉として用いられ、[[:en:Anti-Revisionism|反修正主義]]が掲げられた。例えば、[[中華人民共和国|中国]]は1960年代前半、[[平和共存]]と呼ばれる米ソ緊張緩和などを実行した[[ソビエト連邦|ソ連]]を修正主義的であるとして非難した(一方のソ連は中国のそのような姿勢を「[[教条主義]]」として非難した)。また、[[計画経済]]の失敗から、柔軟な調整政策と呼ばれる[[経済政策]]を実行した[[劉少奇]]、[[トウ小平|鄧小平]]らが1960年代になって権力を奪われた時も、「修正主義的であること」が罪状とされた。なお、[[エンヴェル・ホッジャ]]率いる[[アルバニア労働党]]は自党以外の共産主義の分派を全て「修正主義」と規定した。
 
== 脚注・出典 ==